森光子の死因。スクワットで健康&美白の秘密。放浪記で国民栄誉賞

長きにわたって、多くのテレビドラマ、舞台で活躍した名女優の森光子(もり みつこ)さん。

2012年に92歳で亡くなるまで、第一線で活躍していました。

健康に気を遣い、ロングラン公演となった『放浪記』では、高齢になってからも名物のでんぐり返しを披露。

晩年に活動停止してからも、復帰すると考えていたファンは多かったはず。

今回は森さんの死因、健康の秘訣だったスクワットの詳細、美白について見ていきます。

また『放浪記』での名演と、国民栄誉賞受賞についても確認しましょう。

森光子のプロフィール

本名:村上美津

生年月日:1920年5月9日

死没:2012年11月10日

身長:153cm

出身地:京都府京都市

最終学歴:京都府立第一高等女学校(現在の京都府立鴨沂高等学校)中退

森光子の死因

森さんは2012年11月10日、肺炎が引き起こした心不全により、入院先の順天堂大学病院で亡くなりました。

2010年2月に体調を崩し、『放浪記』を降板。


活動停止後は自宅で療養していましたが、秋以降から入退院を繰り返します。

食べ物を食べられなくなった2011年からは、点滴を受け続けました。

2012年2月、誤嚥性肺炎を発症し、胃ろう造設手術を受けます。

しかし衰弱は進み、一時退院後の9月に、最後の入院。

見舞客が来ると、必ずブラウスを着ていたそうで、見た目に気を遣う余裕はあったことがうかがえます。

しかし11月、安らかに息を引き取ったそうです。

闘病していた事実は世間に伏せられており、復帰の噂も流れていた中での訃報は、ファンに悲しみをもたらしました。

ただ森さん自身も、復帰をのぞんでいたそうです。

枕元に、『放浪記』の台本を置いていたことからも、熱い女優魂がうかがえますね。

奇妙な偶然ですが、森さんの命日である11月10日には、他にも2人の偉大な俳優が亡くなっています。

2009年の同日には森繁久彌さん、2014年の同日には高倉健さんが亡くなりました。

秋から冬への季節が変わるタイミングですから、体調を崩す人が多い時期なのかもしれません。

11月10日は、昭和の名優ファンにとって、最も悲しみを感じる日といえますね。

健康の秘訣だったスクワット

森さんは92歳で亡くなってしまいますが、晩年までアクティブに働き続けていました。

健康の秘訣は、度々メディアで取り上げられてきた、スクワットでした。

1992年頃から、体力が落ちてきたことを感じ、ジムに通い始めたそうです。

肉体の鍛錬に励み出し、朝と夜に75回、合計150回のスクワットを毎日欠かさず行いました。

さらにエアロバイクを漕いで、筋肉を付けていたそうです。

ただし森さんが実践していたスクワットは、一般的にイメージされるような、腰を低く落とす運動とはやや異なります。

軽い、屈伸のような運動のため、高齢でも取り組みやすかったようですね。

年配の方の場合、無理に激しい運動をするより、毎日少しずつ軽い運動に取り組むのが健康の秘訣なのでしょう。

美白の秘密は?

非常に色白で、美しい肌の持ち主だった森さん。

スクワットは有名な健康法でしたが、美白についても何か特別なケアをしていたのでしょうか。

ネット上には森さんが、かつて色黒だったものの、ある時から手に白い斑点ができ始め色白になったという情報がありました。

尋常性白斑病という、メラニン色素が異常に働き、皮膚が真っ白になる病気ということでした。

実は同じ病気を、マイケル・ジャクソンも抱えていたとのこと。

日焼けすると、肌が真っ赤になり、元へ戻るのに時間がかかるそうです。

本人の発言によるものということで、信憑性は高そうですね。

筆者は森さんの肌を見る度に、「美白で羨ましい」と思っていたものです。

しかしご病気だったことを知り、軽率な考えだったと反省しました。

あまりに色が白すぎても、肌荒れしやすく、悩みが尽きないはず。

美白だからといって、肌にとってメリットばかりではないのでしょう。

放浪記での名演

脇役女優として、長年不遇の時期が続いていた森さん。


そんな彼女の転機が、1960年『がしんたれ』で、小説家の林芙美子役を演じたことでした。

森さんの才能を見出した劇作家菊田一夫の自伝的作品で、芙美子の出番はたったの二場だったそうです。

しかしこの演技で高く評価されたことで、今度は芙美子が主人公の『放浪記』で、初主演に選ばれました。

40代にして、ようやく主役の座をつかんだ、遅咲き女優だったのです。

『放浪記』では1人の女小説家のたくましい人生を見事に演じ、ロングランを記録。

89歳の誕生日である2009年5月9日、帝劇公園で上演2,000回を記録しました。

千秋楽までの全公演数は2017回。

かつてなかなか売れず、苦労を重ねた森さん。

「林芙美子を他の女優にやらせるわけにはいかない」という覚悟で、長年大役を務め続けたのでしょう。

国民栄誉賞の受賞について

『放浪記』の上演数2,000回を達成した2009年5月9日。

2日後の11日に、当時の河村建夫内閣官房長官から、森さんに対して国民栄誉賞を授与することが表明されました。

同月29日、正式に授与が決まり、7月1日に授与。

実は存命の俳優に対する国民栄誉賞授与は、森さんのケースが初めてでした。

森さんが授与されるまで、俳優で選出されたのは長谷川一夫さんと渥美清さん。

しかし2人とも、死後の授与だったのです。

スポーツ選手であれば、試合や大会で大きな記録を残した時点で授与が決まります。

しかし俳優の場合、生前の偉業をたたえる形で授与されるのが一般的だったのです。

そのため筆者は昔から、国民栄誉賞の方針が、俳優に対して不公平ではないかと考えていました。


森さんの場合、『放浪記』上演2,000回という、わかりやすい形で業績を残したため生前に授与されたのでしょう。

しかしできることなら、本人にわかる形で授与した方が、本人や家族も嬉しいはず。

森さんの前例に倣い、今後は長年活躍している存命の俳優から候補を選び、なるべく早く授与して欲しいものです。

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