徳光正行の元嫁は女子アナ、離婚理由は子供の時期。筋肉が凄い!仕事の原動力&経歴まとめ

完全に開き直った二世タレントぶりで人気急上昇中の徳光正行(とくみつまさゆき)さん。

「父、和夫のスネはスペアリブ」という発言も話題となりました。

徳光正行のプロフィール

本名: 徳光正和(とくみつ まさかず)

生年月日: 1971年12月12日

血液型: O型

出身地: 神奈川県茅ヶ崎市

最終学歴: 日本大学芸術学部 音楽学科情報音楽コース

所属事務所: 佐藤企画

徳光正行、元嫁は女子アナウンサー

人気アナウンサーの徳光和夫さんを父に持つ徳光正行さん。

自称「二世の中の底辺」としてタレントやキャスターとして活躍。

清々しいまでのダメ息子っぷりでバラエティ番組でも大人気となっています。


徳光正行さんと言えば2010年11月7日に田野辺実鈴さんと結婚した事も話題となりました。

田野辺さんは法政大学を経て2005年にTOKYO MXに入社した女子アナウンサー。

テニスとエレクトーンが趣味という事から育ちの良さが伺えます。

馴れ初めは共演

2007年から「TOKYOモーニングサプリ」で共演している二人。

恐らくこの共演がきっかけで交際に発展したのだと思われます。

そして田野辺実鈴さんは結婚から約1年後の2011年10月末にTOKYO MXを退社。

その翌年からは「徳光」姓でフリーのアナウンサーとして活動するようになりました。

きっと徳光正行さんを支えるために退社を決意したのでしょう。

そして時間に融通が利くフリーアナウンサーに転身したのだと思われます。

非常に人気が高いため難関として知られるアナウンサー試験。

田野辺実鈴さんもアナウンサーになるため大変な努力を積み重ねてきたはず。

そしてようやく掴んだ局アナという立場。

結婚したからとはいえ退社してフリーになる事に躊躇いもあったでしょう。

ですが思い悩んだ末に優先したのは局アナではなく徳光正行さんの妻としての立場。


ここまで自分の事を考えてくれるなんて。

この思いに応えなければ男ではありませんよね。

ただ、徳光正行さんはそんな田野辺実鈴さんの思いに報いる事は出来ず。

結婚から5年後の2015年に離婚してしまいます。

その後、徳光正行さんが再婚したという情報ありません。

そのため2024年現在、妻はおらず独身という事になります。

元嫁に玉の輿の噂

正行さんは、父親である和夫さんからよく高級ブランド品などを買ってもらうのだとか。

和夫さんは、昔から息子が欲しいものを何でも買い与えてきたそうです。

高額な商品でも構わずプレゼントしているなら、非常に裕福な生活をしていることが想像できますね。

正行さんが結婚した際も、4階建ての豪邸を気前よくプレゼントしたのだとか。

そうした驚くほどの親バカぶりは、週刊誌で記事にされたり、テレビで紹介されたりしました。

週刊誌記者の中には、田野辺さんの結婚について「玉の輿が見え見え」などと訳知り顔で語る人もいたようですね。

交際のきっかけは正行さんの熱烈なアプローチだったそうですが、田野辺さんの方でも打算があって受け入れたというのです。

ですが、玉の輿というのは証拠のない話です。


週刊誌記者の発言は断定的に聞こえますが、あくまでも「見え見え」と感じただけ。

確実に玉の輿狙いと証明されたわけではありません。

徳光家のお金持ちエピソードを知り、「どうせお金目当て」といったネガティブなイメージを抱く人も多いのでしょうね。

元妻の不満にまつわる噂

徳光和夫さんの親バカ記事については、「田野辺実鈴のリークでは?」という説があるのだとか。

過去のテレビ出演の際、和夫さんからのプレゼントに対して「飽きた」と語ったこともあるという田野辺さん。

正行さんついては、「自分で仕事を売り込まない」といった批判もしていたという噂があります。

和夫さんの度を越した親バカぶりと、親を頼りきっている正行さんに辟易し、週刊誌に何もかも暴露したという話のようです。

記事の中に田野辺さんへの批判が見当たらなかったことも、リーク説に影響しているようですね。

親バカエピソードは田野辺さんの知人が語ったことになっていますが、実は本人が話したことなのでしょうか。

しかし、やはり証拠はありません。

それどころか、正行さんは田野辺さんと両親の関係が良好であることを語っています。

和夫さんたちと会えなくなることを、離婚そのものより寂しがっている様子だったのだとか。

それが事実なら、和夫さんの親バカ批判を週刊誌に語ったというのは、どうもずれていますね。

何かしら不満があったとしても、基本的には良好な関係であり、リーク説はただの憶測ということなのかもしれません。

離婚理由は子供を作る時期からのすれ違い

結婚から5年で離婚してしまった徳光正行さん。

当初は舅嫁問題が離婚原因と噂されていました。

ですが前述のとおり、正行さんは両親との不仲説はきっぱりと否定。

子作り時期からすれ違い

結婚生活が5年で終止符を打った徳光正行さん。


ただ、5年も結婚していれば子供がいても不思議ではありませんよね。

実際に田野辺実鈴さんは子供を欲しがっていたそうです。

ですが、精神的に未熟だった事もあり徳光正行さんが子供は望まず。

そのため二人の間に子供はいません。

正行さんは、2015年の『ノンストップ』にて、このような意識の違いが離婚の要因であることを語っていました。

今更ながら「子供がいれば離婚はしなかったかも」と思う事もあるという正行さん。

確かに子供が生まれていたら一家の大黒柱として大人にならざるを得ません。

また、素晴らしい父親としての姿を子供に見せたい、という思いも出てくる事でしょう。

そのため子供がいたら精神的に成長していた可能性は高そうです。

徳光正行さんがもっと早くこの事に気付いていれば、と思わずにいられません。

ちなみに、離婚後の田野辺さんは2023年に長男の存在を公表しています。

ですが、父親が正行さんという話はなく、別の男性との子供と思われます。

未熟さも要因のひとつ

離婚の原因については「自分が原因」と語ったこともある正行さん。


いつまでも親に甘えてばかりで、幼い部分があったのだとか。

精神的に子供で、何事にも覚悟を決める事が出来ず。

そんな姿に愛想を尽かされたと感じているようです。

ただ、結婚生活の最中は上手くいっていたと思っていたそうです。

そのため離婚の話はまさに青天の霹靂。

一度は「また二人で頑張ろう」と話をしたそうですが、田野辺実鈴さんの意思は変わらず。

その後、ハンコを押された離婚届けを突き付けられ結局、離婚する事となりました。

きっと田野辺実鈴さんは家庭を持つ事で精神的に成長してくれるはず、と思っていたのでしょう。

ところが徳光正行さんに変わる様子はなし。

期待していた分、落胆の気持ちも大きかったのでしょうね。

徳光正行の筋肉が凄いと話題

日本テレビ入社後、プロレス中継を担当していた徳光和夫さん。

当時のプロレス中継はゴールデンタイムで放送されるほどの人気番組でした。

そんな父親の影響もあり大のプロレスファンだという徳光正行さん。

中学生の頃には卒業後はプロレスの道に進もうと思ったもあったそうです。

ただ、プロレスラーへの夢は父親に反対された事で断念。


それでも徳光正行さんのプロレス愛は変わる事はありません。

いつかリングに上がりたいとの思いでトレーニングを続けていたのでしょう。

その夢が実現したのが2013年5月28日のこと。

マスクマン「ミル・マサカラス」としてお笑いプロレス団体の西口プロレスに参戦。

試合中にマスクを取られ素顔になるハプニングに見舞われながらも終始、素晴らしいファイト。

ゲストとして会場を訪れていた徳光和夫さんも息子の有志を見届けていました。

その後も定期的に西口プロレスに参戦した徳光正行さん。

これでプロレスラーへの思いが強くなったのでしょう。

2019年4月7日に「池田大輔プロレスデビュー25周年記念興行」に参戦。

本格的にプロレスラーデビューを果たした事が話題となりました。

プロレスラーとしても活動するだけあって素晴らしい肉体美を誇る徳光正行さん。

鍛え抜かれた筋肉は紛れもなく努力の賜物。

今後、メディアで肉体美を披露する事で世間の評価も一変するかもしれませんね。

仕事の原動力はお年玉?

キャスター、タレント、プロレスラーなどマルチに活動する徳光正行さん。

これまでもさまざまな番組に出演し、爪痕を残す活躍を見せてきました。


そんな正行さんですが、実は未だに徳光和夫さんからお年玉をもらっているんだとか。

それも気持ち程度の額ではなく15万円も。

何とも羨ましい気持ちになってしまいますよね。

しかも2020年には家の雑務を行った事から増額された事を明かしています。

この事からお年玉というよりも「1年間頑張った」という労いの意味合いなのでしょう。

そして今後もお年玉を貰い続ける事を示唆している徳光正行さん。

お年玉の査定が仕事の原動力になっている可能性も、実はあるのかもしれませんね。

徳光正行の経歴

徳光和夫さんの次男として誕生した徳光正行さん。

当時、徳光和夫さんは既に日本テレビの看板アナウンサー。


そのため都内の一等地で暮らしていたと思いきや、自宅があったのは神奈川県茅ヶ崎市。

きっと「自然豊かな環境で子供を育てたい」という思いがあったのでしょう。

そんな両親の思いを知ってか知らずか大らかに育った徳光正行さん。

ただ、大らかすぎたようで高校卒業後、3年浪人して日本大学芸術学部へ進学。

そして卒業するまでに1年留年してしまっています。

さらに大学卒業後は定職に就く事なくミュージシャンを目指す日々。

茅ヶ崎が生んだ大スター、サザンオールスターズを超えるという壮大な目標を持っていたんだとか。

このような生活から脱却するきっかけとなったのが父の病気でした。

2001年に急性心筋梗塞で入院した徳光和夫さん。

この入院をきっかけに「やりたいこと」ではなく「やれることをやろう」と心境が変化。

それまでは抗っていたという父親の存在をフル活用してタレントに。

今や「親の七光り」も徳光正行さんのキャラクターとなっています。


きっと今の活躍ぶりを見て徳光和夫さんも安堵しているはず。

これからも父親の期待を裏切る事なく「やれること」を精一杯頑張って欲しいものです。

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