16歳の時、日活映画『狂った果実』で俳優デビュー以来、数多くの映画やドラマに出演した津川雅彦(つがわ まさひこ)さん。
俳優一家に生まれたサラブレッドで、映画監督や評論家としても活動しました。
今回は津川さんの家族情報に迫りましょう。
兄の長門裕之さんと、妻の朝丘雪路さん、また父親にフォーカスし、家系図をまとめます。
津川雅彦のプロフィール
本名:加藤雅彦
生年月日:1940年1月2日
死没:2018年8月4日
身長:171cm
出身地:京都府京都市中京区
最終学歴:文化学院
津川雅彦の兄・長門裕之について
まず津川さんの兄である長門裕之さんについてです。
長門さんの本名は加藤晃夫(あきお)で、子役としてデビュー当初は「沢村アキヲ」名義で活動していました。
1940年代前半、『続清水港』、『無法松の一生』などの映画に出演し、名子役として活躍。
学生時代の休業を経て、戦後は日活に入社。
津川雅彦・長門裕之兄弟の写真をググってたら、ステキなのがありましたわ。 #tokyopod pic.twitter.com/U8ygZKZvzM
— Saitoh Masaya (@MS3110) July 13, 2020
『太陽の季節』では主演を務め、石原裕次郎さんと共演し、看板俳優となりました。
1961年に女優の南田洋子さんと結婚し、翌年にフリーとなります。
しかし85年、妻への告白形式の暴露本『洋子へ』で、これまでの女性関係を公表。
実名をさらされた女優たちから批判を浴び、長年人気は低迷しました。
何とか人気を取り戻してからは、悪役として多くのドラマに出演。
私生活では認知症の妻を介護し、長年苦労させたことを、償おうとしたそうです。
弟の津川さんとは、確執がありました。
兄の人気を弟が追い越し始め、徐々にライバル関係になっていたそうです。
また一説では、2人の母であるマキノ智子さんによって、兄弟関係が悪化したといいます。
兄弟それぞれの妻である南田さんと、朝丘雪路さんは、知子さんから互いの悪口を聞かされていました。
そのため夫婦同士の溝が深まって、長年疎遠になっていたようです。
しかし兄弟は晩年に和解。
2006年、津川さんは、自身が監督した映画『寝ずの番』に弟を出演させました。
さらに3年後、南田さんが亡くなると、妻に先立たれた弟を励ましたそうです。
確執があったとはいえ、優れた役者だった兄のことを尊敬していたのでしょう。
長い歳月を経て、ようやく和解した兄弟。
しかし長門さんは妻を失った2年後、彼女の後を追うように亡くなりました。
津川さんは兄弟の仲について、「最近は、人生でいちばん仲が良かったのに」と語り、兄の死を悼んでいます。
もっと早く和解すればよかったと、つくづく悔やんだのでしょう。
津川雅彦の妻・朝丘雪路について
次に津川さんの妻だった朝丘雪路さんについてです。
“Good night”
朝丘雪路
(チャオ!バイビー!) pic.twitter.com/jaWatBraVt
— Hello George (feel free to chat in English) (@ryochikun22) January 9, 2021
父は日本画家の伊東深水で、彼に溺愛されて育ったお嬢様でした。
1952年に宝塚歌劇団へ入り、55年に退団するまで娘役として活躍。
しかしお嬢様育ちで浮世離れした性格のため、周りからは天然ボケのキャラクターとして認知されていました。
退団後、バラエティやコント番組で活躍できたのも、おっとりした天然キャラが受けたためでしょう。
1973年に津川さんと結婚しますが、夫婦生活でも天然キャラは炸裂していたようです。
朝丘さんは買い物をした経験がなかったため、店ではとりあえず1万円札を渡していました。
すると小銭が溜まっていき、ある日とんでもない量の小銭を夫が発見しました。
本人は小銭をお金と認識していなかったそうですから、驚くほど浮世離れしていますね。
家事も洗濯もできず、掃除機の使い方すらわからないので、家のことはすべて家政婦任せでした。
津川さんから「うちには主婦がいない」と言われると、「私も家事ができる奥様を欲しい」と返答。
バラエティ番組で人気を得たのもうなずける、見事な天然キャラですね。
それでも夫婦仲は良く、2018年4月に朝丘さんが亡くなると、わずか4か月後に津川さんもなくなっています。
長門さんもそうでしたが、まるで妻の後を追うように亡くなったというのは、切ないですね。
朝丘雪路さん津川雅彦さんご夫妻も
樹木希林さん内田裕也さんご夫妻も
奥様が先に逝かれ1年も経たずに旦那様が逝く…なんか夫婦愛を感じる😌
あたしは旦那を看取り何年か1人でまったり過ごしてから逝きたいな… pic.twitter.com/3BnXgwhKEr— AKI (@aki_4785d) March 18, 2019
最愛の人を亡くした喪失感で、気力と体力が弱ってしまったのでしょう。
津川さんたち兄弟夫婦が、天国で幸せに過ごしていることを願うばかりです。
津川雅彦の父は歌舞伎役者から映画スター
次に津川さん、長門さん兄弟の父についてです。
父は歌舞伎役者から映画スターになった四代目沢村国太郎さん。
若女形として活躍後、マキノ・プロダクションのスターとして、戦前の映画界で活躍しました。
『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』を始め、数多くの時代劇に出演。
戦後も映画に出演し、『地獄門』や『ビルマの竪琴』といった名作に出演しています。
1960年に脳卒中で倒れ、半身不随となり、74年に69歳で亡くなりました。
津川さんと長門さんは、父の演技力を確かに受け継いだといえますね。
津川雅彦の家系図まとめ
最後に津川さんの家系図をまとめます。
父の沢村国太郎さんには、有名な兄妹がいました。
姉は福祉運動家の矢島せい子さん、妹は女優の沢村貞子さん、弟は俳優の加東大介さんです。
妻は女優のマキノ智子さんでした。
彼女の父は牧野省三という、「日本映画の父」と呼ばれた、日本初の映画監督です。
店に掛けられた額は、映画監督 牧野省三の言葉「1スジ2ヌケ3ドウサ」。映画制作の三大原則として掲げた。スジはシナリオ、ヌケは撮影・現像の技術、ドウサは俳優の演技のこと。#スローな武士にしてくれ pic.twitter.com/D11HWHFWtK
— 酒上小琴【サケノウエノコゴト】 (@raizou5th) March 23, 2019
1925年、『国定忠治』で大成功を収め、マキノ・プロダクションを設立しました。
息子も監督のマキノ雅弘で、日本映画黄金期に活躍しています。
時代劇ミュージカルの『鴛鴦歌合戦(おしどりうたがっせん)』は、テンポよく楽しい作品なので、現代人でも楽しめるでしょう。
「鴛鴦歌合戦」和風ジャズの調べに乗せて「殿様の歌」「夜逃げの歌」など劇中歌で笑わせたり時にしんみりさせたり。オチもシンプルですが人として大切な事は何かを思い出させてくれます。これが戦前の作品だとは何という傑作コメディー!皆様、元気が無い時にはこの映画を見て笑顔になりましょう!😂✨ pic.twitter.com/095eYQAqb3
— 保里安則 (@horiokinawa) October 8, 2020
津川さんは監督をする際、「マキノ雅彦」を名乗っていましたが、偉大な叔父に許可を得て監督名をもらったそうです。
数多くの映画人、演劇人がいる、華やかな家系図でしたね。
津川さん始め、一族が関わった作品は、末永く愛され続けるでしょう。
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