加東大介、息子の仕事は?著名な家族と死因。経歴、津川雅彦との関係

個性的な丸顔を活かし、どこか憎めない悪役を数多く演じた加東大介(かとう だいすけ)さん。

『七人の侍』の中では侍の1人を演じ、確かな演技力で脇を固めていました。

今回は往年の名脇役である加東さんについて、息子は誰か確認し、著名な家族の情報を見ていきます。

また死因、経歴、津川雅彦さんとの関係にも迫ります。

加東大介のプロフィール

愛称:ギューちゃん

本名:加藤徳之助

生年月日:1911年2月18日

死没:1975年7月31日

身長:160cm

出身地:東京都台東区浅草

最終学歴:東京府立第七中学校(現在の東京都立墨田川高等学校)

加東大介の息子

まず加東さんの息子について見ていきます。

息子は加藤晴之さんという名前で、かつてデザイナーとして活動していました。

2021年現在は蕎麦屋を経営していることがわかりましたが、デザイナーからなぜ蕎麦屋に転身したのでしょう。


成城大学に進学するも学業は向いておらず1年で退学、2か月の欧州旅行に出かけました。

イタリアで母の知人だった日本人デザイナーに影響を受け、デザインに目覚めます。

帰国後、武蔵野美術大学に入学し、イタリア語の勉強も開始。

するとイタリア語の講師から、イタリアにある一流デザイン会社に勤める宮川秀之さんを紹介してもらったそうです。

一流デザイン会社はイタル社でした。

実は父の加東さんが、仕事でつながりのあったトヨタの社長に、宮川さんと息子を引き合わせるよう頼んでいたそうです。

こうして宮川さんお付きのドライバーになった晴之さんは、イタル社でデザインの勉強もさせてもらえることになりました。

そんな中で、デザイナーへの道が拓けるよう支援してくれた加東さんが亡くなります。

父の通夜で晴之さんは、父の親友だった黒澤明の娘との婚約を発表。

黒澤の娘というのが、衣裳デザイナーの黒澤和子さんでした。

デザインを志す者同士、何らかの形で接点があり、交際していたのでしょう。

息子の隆之さんをもうけた夫婦は、その後イタリアへ渡ります。

イタル社でデザインの勉強に励んだ晴之さんですが、間もなく妻と離婚。

和子さんも本当はデザインの勉強をしたかったため、夫に従い、息子の世話をするだけの生活に嫌気がさしていたようです。

こうして夫婦は破局し、晴之さんはその後、幼馴染みの真弓さんという女性と再婚しました。

そしてSONYにデザイナーとして就職しています。

SONYで順調に活躍していたものの、ある時、母が住む八ヶ岳の別荘へ移住を決めて退職。

ずっと都会で暮らしていたためか、自然の中で暮らし、自然食を摂取する生活に憧れ始めていたようです。


こうして八ヶ岳へ移住後、地元の人々に手伝ってもらいながら、畑で野菜を育てます。

ある時、八ヶ岳にある蕎麦の名店「翁」を訪れた際、店主から「蕎麦を自然農法で育ててみるか」とオファーされました。

勢いで引き受けた結果、1年かけて自然農法で育てたソバを収穫。

蕎麦で生活することを決意し、蕎麦打ちの基本を身に付け、母に借金した上で蕎麦屋を開業したのです。

お客として、SONY時代の上司や取締役も訪れたとのこと。

またイタル社の宮川さんの紹介により、日経トレンディーに記事が掲載されました。

何とも数奇な人生ですが、蕎麦屋への道が拓けたのも、もとをたどれば父の加東さんが夢を後押ししてくれたおかげですね。

2021年現在、晴之さんは家族と共に東京で、蕎麦屋「黒森庵」を経営しています。

原発事故以来、安全な自然野菜を収穫できないという事情で、2021年現在も休業中とのこと。

今では晴之さんの息子が店主となり、再開に向けて準備しているようです。

自然野菜を使ったおいしい料理と蕎麦で知られたお店ですから、何とか営業再開して欲しいですね。

加東大介の著名な家族

加東さんの一族は、歌舞伎俳優の一家で、著名な俳優が数多くいます。

父は歌舞伎作者だった竹芝傳蔵。

兄は歌舞伎俳優の沢村国太郎さん、姉は社会福祉家の矢島せい子さん、そして脇役女優として知られた沢村貞子さんです。

貞子さんは名エッセイストとしても知られ、『パン屋の白ちゃん』といった作品で、弟の親しみやすい人柄を紹介しています。

また先述の通り、息子の晴之さんは、黒澤明監督の娘和子さんと結婚しています。

2人の息子で、加東さんの孫に当たるのが、俳優の加藤隆之さん。

『雨あがる』や『必死剣鳥刺し』などの映画に出演しています。

加東さんの家族には、芸能や文学関係の人材が多いことがわかりましたね。

加東大介の死因

加東さんは1975年、64歳で亡くなっています。

死因は結腸がんでした。

本人はがんだと知らされておらず、体調不良で入院後、病院からドラマの現場に通っていたそうです。

次の仕事にも意欲を見せていましたが、入院してから5か月後に亡くなっています。

飲酒と肉の摂取でリスクの高まる結腸がんですが、加藤さんは酒を一滴も飲めませんでした。

もしかすると、おいしい肉を我慢できず、つい食べ過ぎてしまうことが多かったため死期が早まったのかもしれません。

経歴まとめ

加東さんは歌舞伎俳優の一族に生まれ、「市川莚司」を名乗り活躍しました。

ただ声変わり前の子役時代にかわいがられた分、声変わりしてからは一時期、スランプがあったようです。


それでも丸顔と精悍さを併せ持った個性派として、劇団前進座の看板俳優となりました。

また『河内山宗俊』や『人情紙風船』といった映画にも出演し、脇役ながら着実にキャリアを積みます。

1943年に応召され、ニューギニア戦線に赴いた際は、兵士たちを励ますための劇団結成の命令を受けました。

この時、芝居を上演した経験について、のちに『南の島に雪が降る』という小説にまとめました。

同作は映画化もされ、加東さんは作家としても高く評価されることになります。

1946年に復員し、48年から大映京都の専属となりました。

映画に軸を移すことにしたため、歌舞伎俳優としての名前を捨て、「加東大介」に改名。

1950年、黒澤明監督『羅生門』に出演し、翌年に黒澤が属する東宝へ移りました。

これ以降、クロサワ映画に次々と出演することになるのです。

黒澤作品以外にも、千葉泰樹監督の『大番』では、珍しく主演を務めています。

演じた主人公「ギューちゃん」は、彼の愛称にもなりました。

さらに『社長シリーズ』でのコミカルな演技も好評で、日本映画界の名バイプレイヤーとしての地位を確立したのです。

加東大介と津川雅彦との関係

加東さんと俳優の津川雅彦さんは、親戚関係にあります。

津川さんの父は、加東さんの兄である沢村国太郎さんでした。

つまり2人は叔父と甥の関係です。

また津川さんの兄で俳優の長門裕之さんも、甥ということになります。

ここまで多くの名優がそろった一族も、なかなか珍しいですね。


加東さんの名演を知る人は少なくなりましたが、ぜひ彼が出演した往年の名作映画を観てみてください。

脇役ながら圧倒的なインパクトを備えた名演が、記憶に焼きつくことでしょう。

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