高倉健、江利チエミとの結婚と馴れ初め。離婚理由&その後のエピソード

「不器用ですから」と自らを評し、武骨でストイックな男の生きざまをスクリーンで体現した高倉健(たかくらけん)さん。

ベールに包まれた私生活と硬派なイメージがマッチして、まさに映画スターらしい俳優でした。

生涯でただ一度の結婚歴があり、そのお相手は歌手の江利チエミさんです。

今回は二人の馴れ初めと離婚に至った理由、その後のエピソードをお送りします。

高倉健のプロフィール

愛称:健さん

本名:小田剛一

生年月日:1931年2月16日

死没:2014年11月10日

身長:180cm

出身地:福岡県中間市

最終学歴:明治大学商学部商学科

高倉健の唯一の結婚歴、江利チエミとの馴れ初め

およそ60年にわたる俳優人生で、一本気な日本の男の美学を演じ続けた高倉健さん。

生涯で出演した映画は205本、かたやテレビドラマはわずかに数本。

映画を愛し、名だたる賞を獲得した国民的俳優でした。


本番では、演じる人物の心にこみあげる、その瞬間の気持ちを表現するために基本的にワンテイク。

最初で最高のワンテイクにすべてをかけていたそうです。

なかでも『幸福の黄色いハンカチ』の序盤のシーンは多くの人の記憶に刻まれているでしょう。

出所したばかりの島勇作が食堂でビールとラーメンとカツ丼を注文する場面です。

この時も山田洋次監督は一度でOKを出しました。

1982年のテレビドラマ版では菅原文太さんが演じていますが、見比べてみるのも一興ですね。

孤高の映画俳優というイメージさながらに、私生活でも寡黙で禁欲的な男性像を堅守した高倉健さん。

若い頃に結婚歴が一度あり、妻は江利チエミさんです。

江利チエミさんは進駐軍のアイドルからレコードデビューを果たし、美空ひばりさん、雪村いづみさんとともに「三人娘」と呼ばれた人気歌手。

日本人アーティストがカバーした『テネシーワルツ』は、この方のバージョンがいちばん有名でしょう。

彼女はこの曲をデビュー曲に決めており、レコーディング時はまだ14歳でした。

『恐怖の空中殺人』で共演した高倉健さんに夢中になった江利チエミさん。

芸能界の母と慕う清川虹子さんに相談したところ、清川さんから健さんに話が伝わって交際がスタートしたようです。

「チエミちゃんをよろしくね」ということだったのでしょう。

健さんにとっても江利チエミさんは憧れの存在でした。

二人は健さんの誕生日である1959年2月16日にゴールイン。

チエミさんは人前で夫を「ダーリン」と呼び、夫婦仲のよさは誰もが知るところだったのですが、幸せな生活は暗転していきます。

離婚の原因は江利チエミの異父姉

結婚の3年後、夫妻は待望の子宝を授かりますが、妻の妊娠高血圧症候群により出産はかないませんでした。

さらに不運が重なり、高倉プロモーション設立の途上で自宅が全焼。

結婚13年目に、ついに破局を迎えます。

チエミさんからの一方的な離婚の申し入れでした。

別れを切り出したのは、じつは不仲が原因ではなく、彼女の異父姉がもたらしたトラブルによるもの。

親族のせいで夫に迷惑をかけたくないと考えてのことでした。

華やかな芸能界にいる妹を妬んでいた異父姉は、何年も前からチエミさんを陥れる計画を練っていたといいます。

まずは家政婦兼付き人として夫妻の家に巧みに入り込み、実印を預かって経理をまかされるまでに。

そして夫妻の誹謗中傷を吹聴し、夫婦関係をこじらせて、二人を別居に追い込みました。

さらに妹名義の銀行預金を使いこみ、家を抵当に入れて多額の借金。

チエミさんは責任を自分一人でとることを決意し、異父姉を告訴。

地方営業をこなして借金を返済しながら、寂しさを紛らわせるために飲酒を繰り返すようになっていきます。

江利チエミさんが45歳で不慮の死をとげたのは、離婚から11年たった1982年2月13日のことでした。


死因は脳卒中と嘔吐したものが気管に詰まったことによる窒息。

柩が自宅を出た2月16日は、奇しくも花嫁衣装を着て実家を出たのと同じ日でした。

高倉健さんは葬儀には姿を現さなかったものの、本名で供花を贈り、斎場の外で長い間手を合わせていたといいます。

高倉健と江利チエミ、その後のエピソード

江利チエミさんのことを「とても好いていた女性でした」と語ったことがある高倉健さん。

その後は再び妻帯することはありませんでした。

83歳で亡くなるまで、元妻の命日前後には人目を忍んで毎年法徳寺を訪れて、お墓に花を手向け、本名を記した線香を贈り続けたエピソードは有名です。

また清川虹子さんは、二人が離婚後に交わしていた約束について明かしています。

その話によると、いつか世間が自分たちの騒動を忘れた時、また一緒になってほしいとチエミさんが言い、健さんは了解したとのこと。

しかし、その約束が果たされることはありませんでした。

ある大物女優が健さんに惚れ込み、しつこく結婚を迫った時も首を縦に振ることはなかったそうです。

撮影所の楽屋で『テネシーワルツ』を黙って聴いていることが何度もあったという高倉健さん。


江利チエミさんがこの世を去ったあと、離婚前年に全焼した家の跡地に豪邸を建て替えたのも「殉愛」を示すエピソードといえるでしょう。

元妻と結婚生活を送った思い出のこの場所が、高倉健さんの終の棲家になりました。

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