「不器用ですから」と自らを評し、武骨でストイックな男の生きざまをスクリーンで体現した高倉健(たかくらけん)さん。
ベールに包まれた私生活と硬派なイメージがマッチして、まさに映画スターらしい俳優でした。
生涯でただ一度の結婚歴があり、そのお相手は歌手の江利チエミさんです。
今回は二人の馴れ初めと離婚に至った理由、その後のエピソードをお送りします。
高倉健のプロフィール
愛称:健さん
本名:小田剛一
生年月日:1931年2月16日
死没:2014年11月10日
身長:180cm
出身地:福岡県中間市
最終学歴:明治大学商学部商学科
高倉健、唯一の結婚相手は江利チエミ
孤高の映画俳優というイメージさながらに、私生活でも寡黙で禁欲的な男性像を堅守した高倉健さん。
しかし、若い頃に結婚歴が一度あります。
約12年で離婚となりましたが、江利チエミさんと夫婦だった時期があるのです。
江利チエミさんは進駐軍のアイドルからレコードデビューを果たし、美空ひばりさん、雪村いづみさんとともに「三人娘」と呼ばれた人気歌手。
日本人アーティストがカバーした『テネシーワルツ』は、この方のバージョンがいちばん有名でしょう。
彼女はこの曲をデビュー曲に決めており、レコーディング時はまだ14歳でした。
夫婦の間に子供はいない
高倉さんと江利さんの間に子供は産まれていません。
ただし、結婚から3年後の1962年に江利さんは妊娠しています。
出産できなかったのは病気のため。
当時の江利さんは妊娠高血圧症候群を患っていました。
その頃は「妊娠中毒症」とも呼ばれており、症状は高血圧やたんぱく尿など。
しかも江利さんの場合、かなり重度の症状だったそうです。
そのため中絶が必要となり、子供は産めなかったのです。
公私混同をしなかった妻
1962年には、美空ひばりさんと共演した映画『三百六十五夜』が話題になった高倉さん。
東映の映画プロデューサーである岡田茂さんは、妻である江利さんにも出演をオファーしていたそうです。
前述のとおり、江利さんは美空さんや雪村いづみさんと共に「三人娘」と呼ばれていました。
岡田さんは雪村さんにも出演を頼み、人気の「三人娘」と高倉さんの共演を考えていたのだとか。
当時なかなか芽が出なかった高倉さんのため、ヒット映画の実績を作る計画だったようですね。
しかし江利さんは、仕事と私生活を混同したくないという理由で出演を拒否したそうです。
高倉さんと江利さんが出るなら、夫婦共演も多くの注目を集めることは想像できます。
そうした話題作りで人気アップを狙うことに、江利さんは抵抗があったのかもしれません。
夫婦関係を都合よく利用されるようなものと考えれば、そんな気持ちもわかりますね。
岡田さんは怒ったのか、高倉さんに対して「今後ウチでチエミは使わん」と宣言。
さらに、「嫁になめられるな」と叱責したそうです。
ただ、「スターになって見返せ」と発破をかけられたことも明かしていたという高倉さん。
その後は仁侠映画で人気を高めたわけですが、努力の背景には、岡田さんから言われたことも影響していたのかもしれません。
「侠骨一代」は、1967年に公開されたマキノ雅弘監督、高倉健主演の任侠映画です。
高倉健のスター性を決定づけた作品として知られています。高倉健は、粗野ながらも正義感の強い役を、迫真の演技で演じています。 pic.twitter.com/Xaht7f73KA— 潜在意識ハック (@chocorin_com) October 1, 2023
それにしても、納得できないことをきっぱり断る江利さんはかっこいいですね。
高倉さんも、そんな芯の強さに魅力を感じていたのかもしれません。
結婚馴れ初めは共演
『恐怖の空中殺人』で共演した高倉健さんに夢中になった江利チエミさん。
東映『恐怖の空中殺人』(昭和31年)はCS/BSでまた流れないかな。スタルヒンが役者として出演し、高倉健と江利チエミの馴れ初めの作品でもある。 pic.twitter.com/76y9xGgen0
— 萬象アカネ (@bansho_akane) November 8, 2020
芸能界の母と慕う清川虹子さんに相談したところ、清川さんから健さんに話が伝わって交際がスタートしたようです。
「チエミちゃんをよろしくね」ということだったのでしょう。
健さんにとっても江利チエミさんは憧れの存在でした。
二人は健さんの誕生日である1959年2月16日にゴールイン。
チエミさんは人前で夫を「ダーリン」と呼び、夫婦仲のよさは誰もが知るところだったのですが、幸せな生活は暗転していきます。
「ダーリン」を日本に浸透させたのは、高倉健さんと結婚当初の、江利チエミさん・・・説。#ij954
— すみの@樂画来亭 (@rakugakitei2019) November 18, 2020
離婚の原因は江利チエミの異父姉
結婚の3年後、夫妻は待望の子宝を授かりますが、妻の妊娠高血圧症候群により出産はかないませんでした。
さらに不運が重なり、高倉プロモーション設立の途上で自宅が全焼。
結婚13年目に、ついに破局を迎えます。
チエミさんからの一方的な離婚の申し入れでした。
明星 昭和34年4月号『お買物ハネムーン』/2月16日帝国ホテルで華燭の典をあげ、結婚にゴールインした高倉健さんと江利チエミさんの新婚ホヤホヤ生活をちょっぴり拝見。「ごうちゃん」「チエミちゃん」と呼び合っていたんですね~😊 pic.twitter.com/mK33wlpliy
— 島倉千代菊 (@wataridori333) September 26, 2019
別れを切り出したのは、じつは不仲が原因ではなく、彼女の異父姉がもたらしたトラブルによるもの。
親族のせいで夫に迷惑をかけたくないと考えてのことでした。
華やかな芸能界にいる妹を妬んでいた異父姉は、何年も前からチエミさんを陥れる計画を練っていたといいます。
まずは家政婦兼付き人として夫妻の家に巧みに入り込み、実印を預かって経理をまかされるまでに。
そして夫妻の誹謗中傷を吹聴し、夫婦関係をこじらせて、二人を別居に追い込みました。
さらに妹名義の銀行預金を使いこみ、家を抵当に入れて多額の借金。
チエミさんは責任を自分一人でとることを決意し、異父姉を告訴。
地方営業をこなして借金を返済しながら、寂しさを紛らわせるために飲酒を繰り返すようになっていきます。
江利チエミさんが45歳で不慮の死をとげたのは、離婚から11年たった1982年2月13日のことでした。
死因は脳卒中と嘔吐したものが気管に詰まったことによる窒息。
柩が自宅を出た2月16日は、奇しくも花嫁衣装を着て実家を出たのと同じ日でした。
高倉健さんは葬儀には姿を現さなかったものの、本名で供花を贈り、斎場の外で長い間手を合わせていたといいます。
江利チエミと言えば高倉健が江利チエミの葬儀の時参列しないで遠くから黙礼してたってエピソード好き
— もう厨ニ (@mou_chuni) December 31, 2017
高倉健と江利チエミ、その後のエピソード
江利チエミさんのことを「とても好いていた女性でした」と語ったことがある高倉健さん。
その後は再び妻帯することはありませんでした。
83歳で亡くなるまで、元妻の命日前後には人目を忍んで毎年法徳寺を訪れて、お墓に花を手向け、本名を記した線香を贈り続けたエピソードは有名です。
また清川虹子さんは、二人が離婚後に交わしていた約束について明かしています。
その話によると、いつか世間が自分たちの騒動を忘れた時、また一緒になってほしいとチエミさんが言い、健さんは了解したとのこと。
しかし、その約束が果たされることはありませんでした。
ある大物女優が健さんに惚れ込み、しつこく結婚を迫った時も首を縦に振ることはなかったそうです。
撮影所の楽屋で『テネシーワルツ』を黙って聴いていることが何度もあったという高倉健さん。
江利チエミさんがこの世を去ったあと、離婚前年に全焼した家の跡地に豪邸を建て替えたのも「殉愛」を示すエピソードといえるでしょう。
元妻と結婚生活を送った思い出のこの場所が、高倉健さんの終の棲家になりました。
高倉健の経歴まとめ
およそ60年にわたる俳優人生で、一本気な日本の男の美学を演じ続けた高倉健さん。
生涯で出演した映画は205本、かたやテレビドラマはわずかに数本。
映画を愛し、名だたる賞を獲得した国民的俳優でした。
本番では、演じる人物の心にこみあげる、その瞬間の気持ちを表現するために基本的にワンテイク。
最初で最高のワンテイクにすべてをかけていたそうです。
なかでも『幸福の黄色いハンカチ』の序盤のシーンは多くの人の記憶に刻まれているでしょう。
出所したばかりの島勇作が食堂でビールとラーメンとカツ丼を注文する場面です。
この時も山田洋次監督は一度でOKを出しました。
1982年のテレビドラマ版では菅原文太さんが演じていますが、見比べてみるのも一興ですね。
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