高倉健の性格と人柄。志村けん、ビートたけしとのきずな。石野真子との交際

「寡黙」「不器用」「シャイ」などの言葉で語られる、高倉健(たかくら けん)さん。

今回は健さんの性格を見ていき、実際はどんな人柄だったのか確認しましょう。

また志村けんさん、ビートたけしさんとのきずな、石野真子さんとの交際についてもご紹介します。

高倉健のプロフィール

愛称:健さん

本名:小田剛一

生年月日:1931年2月16日

死没:2014年11月10日

身長:180cm

出身地:福岡県中間市

最終学歴:明治大学商学部商学科

高倉健、実際の性格と人柄

不器用かつ誠実で、実直な人柄といわれてきた健さん。

実際にまじめな性格で、取材時にも質問に対して、熟考してから回答するほど実直でした。


また心が通じ合えた共演者には、腕時計をプレゼントするほど誠実な人柄だったそうです。

ただし、単にまじめだったわけではありません。

非常にユーモアを好む人で、お笑い芸人に対してはとくに敬意を表していたといいます。

「人を笑わせるために生きている」お笑い芸人に対して、どんなに努力しても自分は敵わないと考えていました。

シリアスな役柄が多い分、コミカルな芝居ができる人に憧れていたのかもしれません。

1回くらいはコメディにも出演して、はじけてみたいと考えていた可能性がありますね。

だからこそ、普段はなるべくユーモアを大切に生きていたようです。

かつてビートたけしさんが、「健さんは映画の撮影中、椅子に座らない」というエピソードを広めました。

すると健さんは自分が撮影中、椅子に座っている様子を写した写真に、「僕だって座ります」と書いて送ったそうです。

まじめなイメージが周りによって定着させられてしまい、やや困惑していたのかもしれません。

たけしさんによれば、寡黙なイメージとは裏腹に、親しい相手と一緒にいる時は非常に饒舌だったそうです。

「よく喋る、すごく喋る」と健さんについて語っています。

実直なイメージとは別の一面を、ごく親しい人にだけは明かしていたのでしょう。

健さんは実際に誠実で実直な人柄でした。

しかし「明るく、楽しい人柄」という一面もあったのでしょう。

そして自身としては、後者のイメージが定着することを望んでいたのかもしれませんね。

志村けんとのきずな

2020年3月29日、新型コロナウイルスが原因の肺炎で亡くなった、志村けんさん。

生前は「コメディアン」という肩書にこだわり、映画やドラマへの出演を断っていました。

そんな志村さんが出演した数少ない映画の1つが、『鉄道員ぽっぽや』(1999年)。

主演の健さんが彼の出演を熱望したそうです。

意外にもお笑い好きだった健さんは、フランスで知人たちと食事中、おすすめの喜劇人として志村さんを紹介されます。

すぐに反応した彼は、志村さんの出演するお笑い番組が見られるよう、国際電話で手配を依頼。

実際に芸を見たところ、非常に面白かったようで、「いつか一緒に仕事したいな」と話したそうです。

『鉄道員ぽっぽや』で志村さんが演じたのは、酒癖が悪い炭鉱夫の吉岡でした。

自宅の留守電に、健さんから直々のオファーメッセージが残されており、さすがに断れなかったそうです。

吉岡がコップ酒を飲み、テーブルに額を打ちつけ、「痛えなぁ」と呟く名シーンはアドリブでした。

唯一の映画出演作ながら、酒に溺れた男の悲哀を、見事に演じ切った志村さん。

実は吉岡という人物は、浅田次郎さんの原作には登場しません。


健さんと降旗康男監督で話し合いながら創り上げた、オリジナルキャラクターだったのです。

映画内で吉岡は、労働者の悲哀を体現するキャラクターとして登場し、観る人の胸を打ちました。

健さんは志村さんの存在を念頭に置きながら、彼のためにすばらしいキャラクターを創り上げたのでしょう。

2人は天国で、撮影時の思い出話にふけっているかもしれませんね。

ビートたけしとのきずな

志村さんと同じく健さんから愛されたお笑い芸人が、ビートたけしさんです。

2人は降旗康男監督の作品である、『夜叉』と『あなたへ』で共演。

お互いを「たけちゃん」「健さん」と呼び合うほど、親しかったことで知られています。

「オレたちひょうきん族」に「タケちゃんマン」の弟子である「ケンちゃんマン」を出す企画が浮上したことさえあるそうです。

イベント時に2人でトークする際は、息の合ったやり取りを楽しんでいるように見えました。

いつか一緒に映画を作りたいとも考えていた2人。

健さんの死で実現しなかったものの、2人が残してくれた2本の降旗作品は、彼らのきずなの結晶といえるでしょう。

石野真子との交際は猛アプローチから


健さんは寡黙で不器用なイメージがあるものの、実は女性好きだったようです。

元妻である江利チエミさんと家庭の事情により離婚後、色恋沙汰とは無縁だった印象がありました。

しかし60代の頃、札幌の高級すし店を貸し切って、女優の石野真子さんと会食したそうです。

石野さんは以前から、何度もデートへ誘われていたとのこと。

熱心に口説く健さんにほだされ、会食を承諾したそうです。

しかし数年後、別の女性とデートする姿が目撃されたため、石野さんとの関係は終わっていたことがうかがえます。

色気ある魅力的な石野さんに言い寄る男性は、数多くいたでしょう。

彼女にとって健さんも、その中の1人に過ぎず、熱心に交際する気はなかったのかもしれませんね。

健さんは生前、「女性は好きだが、1人の方が楽」と語っています。


トラブルやゴシップを避けるため、あえて独身を貫いたのかもしれません。

寡黙なイメージで語られがちな健さん。

実際はもう少し人間味ある人物だったといえそうですね。

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