『イヨマンテの夜』や『あざみの歌』で知られた歌手の伊藤久男(いとう ひさお)。
2020年、NHK連続テレビ小説『エール』で、山崎育三郎さんが演じた歌手「佐藤久志」のモデルです。
ドラマでは「プリンス佐藤」として活躍していましたが、実際の伊藤はどんな人物だったのでしょう。
今回は伊藤の子供、家族、実家のある本宮市について見ていきましょう。
また戦後の経歴を確認して、人柄について考察します。
伊藤久男のプロフィール
愛称:チャーさん
本名:伊藤四三男(いとう しさお)
生年月日:1910年7月7日
死没:1983年4月25日
身長:不明
出身地:福島県本宮市
最終学歴:帝国音楽学校
伊藤久男の子供と家族
伊藤は生涯で3度結婚しています。
そして2人の妻との間に、合計8人の子供がいました。
初婚は音楽学校の同級生が相手でしたが、嫁姑問題で離婚。
2人目の妻は、芸者歌手だった赤坂百太郎(大西ふさ子)。
百太郎が「芸者は結婚できない」と言った際、伊藤は「そんなことはない」と答えました。
すると百太郎はその気になってしまい、交際が始まったそうです。
しかし芸者とのゴシップが報じられたことで、所属していたコロムビアの社長から、「結婚するかやめるか、はっきりしろ」と言われます。
こうして結婚に至り、4人の子供をもうけました。
しかし強引な結婚だったためうまくいかず、結局離婚。
3番目の妻は、宝塚歌劇団の桃園ゆみか(西山あさの)。
伊藤が放送局で歌った際、後ろでコーラスガールを務めていました。
面長であまり美人ではなかったそうですが、ゆみかは伊藤に惹かれ、「子供を引き取って育てる」と言いました。
彼女の熱意に触れた伊藤は再婚を決意し、夫婦で4人の子供を育てます。
そしてさらに4人の子供をもうけ、幸福に暮らしたそうです。
子供のうち、長女の三礼子さんと、次男の悟さんは歌手の道に進みました。
悟さんは郷ひろみさんのバックコーラスとして活動したこともあります。
女性関係が豊富だった伊藤ですが、3度目の結婚でようやく落ち着き、孫にも恵まれました。
晩年は家族に囲まれ、幸せに過ごしたのでしょう。
伊藤久男の実家は本宮市
伊藤は福島県本宮市出身です。
『エール』の主人公のモデルである作曲家・古関裕而と同郷でした。
2人は同郷の作詞家・野村俊夫と共に「コロムビア三羽ガラス」として歌謡界に君臨しました。
伊藤は本宮小学校時代にピアノを始め、幼少期から歌の才能に秀でていたそうです。
JR本宮駅前には、彼の功績を讃えるパネルと胸像が設置されています。
また『イヨマンテの夜』の歌碑が、花山公園に建立されました。
残念ながら伊藤の実家そのものは、台風19号の被害を受け、解体されてしまったそうです。
月曜10時。
SMAPの思いを繋ぎます。
今日も福島県の紹介で。
先週の続き、朝ドラ「エール」の佐藤久志(伊藤久男)の実家です。去年の水害で今は何も残っていなくて、残念です。隣のパン屋さんは営業しています。#SMAP#スマスマ#新しい地図#復興に向けて手を繋ごう #私の_世界に一つだけの花 pic.twitter.com/dnagmd65fN— 📎ひろこ📎 (@hirohiro0818) December 21, 2020
しかし大地主の父・伊藤弥が、約10年かけて築いた別荘は現存しています。
国の登録有形文化財でもある別荘は豪華絢爛で、樹齢約400年の枇杷を床柱に使用しているそうです。
月曜10時。
SMAPの思いを繋ぎます。
私に出来るのは、福島県の紹介だけなので、今日も。
ここは、蛇の鼻遊楽園の「蛇の鼻御殿」です。
朝ドラの佐藤久志(伊藤久男)の、別荘だったところです。とても広い公園です。#SMAP#スマスマ#新しい地図#復興に向けて手を繋ごう #私の_世界に一つだけの花 pic.twitter.com/hAZifKhVMn— 📎ひろこ📎 (@hirohiro0818) December 7, 2020
伊藤の実家は本宮市内で有名な、大富豪の家だったといえますね。
家族に知らせず、東京農業大学を退学し、歌手の道を志した伊藤。
退学がバレて仕送りが来なくなった時は、何不自由なく育った彼にとって、もっとも苦労した時期だったのでしょう。
しかし、合の手や囃子を吹き込むアルバイトなどで必死に生活しながら、売れっ子歌手へのし上がっていきます。
大富豪の子息でありながら、自力でトップスターの座を勝ち取った人物だったのです。
戦後の経歴
伊藤は戦時中、戦地に赴く兵隊のため多くの軍歌を歌い、ヒットを飛ばしました。
しかし戦後は一転して、生活が荒れたそうです。
軍歌によって多くの兵隊を戦地へ赴かせてしまった責任を感じたのか、引きこもって、アルコールに浸る日々を送りました。
しかし戦後は酒どころか食糧にも事欠く状況だったため、ドラム缶2本の、消毒用アルコールを飲んでいたそうです。
再起不能と思われましたが、1947年『地獄の顔』の主題歌である『夜更けの街』で復帰。
その後は、『イヨマンテの夜』の他、『君いとしき人よ』、『数寄屋橋エレジー』など数々の名曲を歌いました。
戦争責任を感じながらも、明るい世の中になるよう願いを込めながら、抒情性に満ちた美声を響かせたのでしょう。
高校野球全国大会のテーマ曲『栄冠は君に輝く』をはじめ、希望に満ちた歌を歌い続けた伊藤。
戦争で荒れた日本に、輝きを取り戻そうとしていたことがうかがえます。
同時に自身のすさんだ気持ちをも、歌で慰めようとしていたのかもしれません。
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