古関金子の実家、娘と兄弟について。株取引に夢中?オペラ歌手の夢

NHK朝ドラ『エール』のヒロインのモデルは、古関金子(こせき きんこ)という女性です。

作曲家・古関裕而の妻であり、声楽を学んだ経歴がある、正真正銘の音楽人でした。

今回は金子の実家、娘、兄弟の情報をまとめます。

また株取引に夢中だったという情報、オペラ歌手への夢についても確認しましょう。

古関金子のプロフィール


本名:古関金子 ※旧姓:内山

生年月日:1912年3月6日

死没:1980年7月23日

身長:不明

出身地:愛知県豊橋市

最終学歴:帝国音楽学校声楽部本科中退

古関金子の実家は豊橋市

金子は旧姓を内山といいました。

父の内山安蔵と母みつの三女として、豊橋市に生まれます。

父は陸軍に物資を納める業者でした。

「内山安蔵商店」という店で、蹄鉄(ていてつ)や馬具を扱っていたそうです。

安蔵は元々、陸軍獣医部に勤務していましたが、退役後は御用店を開き豊橋市で活動していました。

しかし父は、金子が12歳の時に亡くなっています。

その後、母みつが家業を継いで、7人の子供を育てたそうです。

事業を縮小せざるを得ませんでしたが、女手一つで店と家族を守った、たくましい女性だったのでしょう。

『エール』では、家業は同じく陸軍向けの御用店でしたが、キリスト教徒の一家という設定でした。

しかし実際の金子の家系は、キリスト教徒ではないそうです。

音楽がテーマのドラマですから、讃美歌を登場させることで、ヒロインと音楽をうまく結びつけようとしたのでしょう。

その点でキリスト教徒という設定の方が、ストーリーをまとめやすかったのかもしれませんね。

2人の娘と1人の息子

古関夫妻の間には、一男二女がいます。

娘は1932年生まれの雅子さん、34年生まれの紀子(みちこ)さんの2人です。

また46年生まれの長男は、正裕さんです。

『エール』では娘が1人しかいませんので、2人の娘を合わせてモデルにしたのかもしれません。

古関さんが、一家の疎開先だった飯坂の小学校校歌を作曲した際、発表会で雅子さんがピアノ演奏を担当。

歌い上げたのは、金子だったそうです。

子供たちは一般人で詳細は不明ですが、両親と同じく音楽に関心が強かったことは間違いないですね。

また雅子さんは結婚後、染谷姓を名乗っています。

結婚してからは、子供たちへピアノや歌を教えていたのかもしれませんね。

古関金子の兄弟

金子は一男六女の三女だったとされていますが、早世した兄妹を含めると一男十女の六女だったそうです。

かつて父の安蔵は、みつと共に各地を転勤していました。

出征中以外は、次々と子供をもうけています。

亡くなった子供も多かったものの、存在自体を語り継ぐことはしなかったそうです。

成人したのは、長男勝英、長女富子、次女清子、三女金子、四女松子、五女貞子、六女寿枝子。

『エール』では、金子がモデルの「関内音」は3人姉妹でした。

そして音の妹である「梅」という女性が登場します。

文学賞を受賞した小説家という設定で、人気女優の森七菜さんが演じました。

梅のモデルが気になったという方も多いはず。

しかし実際には、金子の妹に小説家はいません。

朝ドラでは、音楽と文学に造詣が深かった金子の人格を、声楽家志望の音と小説家の梅という2人の女性に分けて描いたようです。

金子は作家の長谷川時雨が主宰した女性文芸雑誌「女人芸術」の中部地方委員も務めています。

実際の妹たちは、芸術に疎く、金子だけが音楽学校へ進学しました。

ドラマとしては1人のキャラクターに色々な要素を盛り込むより、姉妹に分けた方が描きやすかったのでしょう。

株取引に夢中?

金子には、株取引に秀でていたという意外な一面がありました。

戦後、株取引にのめり込み、順調に利益を上げていたそうです。

「株は芸術なり」と語るほどですから、かつて音楽にのめり込んだように、株取引に夢中だったのでしょう。

当初、金融メディアでは、「某作曲家夫人」と紹介されていました。

しかし有名トレーダーになっていき、本名と写真も公開。

投資指南を請け負ったこともあり、夫の所属していた日本コロムビアの株についても批評しています。

「失敗はほぼありません」と発言し、「百戦錬磨の利殖マダム」と称された金子。

週4回、山一證券の渋谷支店へ通っていました。

「欲を出さず、確実に利益を得る」という運用法で、投資に成功していたといいます。

夫を支えるどころか、夫を養っているといっても過言ではない、たくましい女性だったのでしょう。

オペラ歌手への夢

金子はかつて、オペラ歌手を目指していました。

1931年4月、帝国音楽学校声楽部本科に入学し、ベルトラメリ能子(よしこ)のもとで声楽の勉強を開始。

当時の生徒には、夫の古関とタッグを組むことになる、歌手の伊藤久男も在籍していました。

金子の才能は抜群でしたが、同年12月に長女を出産し、子育てのため退学。

しかし1934年、二女の出産後、再び声楽の勉強を始めています。

ベルトラメリ能子の一番弟子として、『アイーダ』や『トスカ』などのオペラに出演を果たしました。

さらにベルトラメリ能子の師匠、ディーナ・ノタルジャコモに師事し、実力を磨き続けました。

戦後も夫が作曲した放送オペラ『トウランドット』や『チガニの星』に出演しています。


『エール』では、家庭のためにオペラの夢を断念した面が強調されていましたが、実際にはオペラ歌手の実績を積んでいたのです。

もちろん何よりも家族を支えることを優先しつつ、趣味として楽しんでいたのでしょう。

古関夫妻は音楽界でもっとも仲睦まじく、二人三脚で活動してきた夫妻だったといえますね。

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