淡路恵子の息子は4人!三男と四男は死亡。遺産がゼロ?元夫・錦之助とは不倫で離婚

黒澤明の『野良犬』で映画デビューして以来、数々の名作映画やドラマに出演した淡路恵子(あわじ けいこ)さん。

「ドラゴンクエスト」好きのゲーマーとしても有名でしたが、どのような私生活を送っていたのでしょう。

今回は淡路さんの息子について、三男と四男が死亡しているという情報に迫ります。

また遺産はどうなったのか、元夫である中村錦之助(のちの萬屋錦之介)さんとの関係も確認します。

淡路恵子のプロフィール

本名:井田綾子

生年月日:1933年7月17日

死没:2014年1月11日

身長:163cm

出身地:東京都品川区荏原

最終学歴:東京都立八潮高等学校中退、松竹音楽舞踊学校卒業

淡路恵子の息子は4人

淡路さんには合計4人の息子がいました。

1965年生まれの長男は俳優の島英津夫(しま えつお)さん。

『鬼平犯科帳』を始め、時代劇を中心に活躍してきました。


また一般人の次男もいます。

長男と次男はいずれも淡路さんの最初の夫、フィリピン人の歌手だったビンボー・ダナオさんとの息子です。

ダナオさんとは20歳の時に結婚しましたが、夫の浮気が原因で離婚。

その後、当時の中村錦之助、のちの萬屋錦之介さんと再婚しました。

錦之介さんとの間にもうけたのが、三男の小川晃廣さんと、四男の萬屋吉之亮(本名:哲史)さんです。

息子たちはいずれも俳優として、両親と共に大河ドラマ『武蔵』に出演しました。

長男が語る母親との思い出

2014年に淡路さんが亡くなった際、長男の島さんは母親との思い出を振り返り、「おふくろの子供でよかった」と語っていました。

淡路さんには、家で見せる母親としての顔と、仕事で見せる女優としての顔があったそうです。

島さんによれば、女優モードのときは息子でも近寄りがたいほどオーラがあったのだとか。

母親としての顔とは、明らかに違うものがあったのでしょう。

仕事ではきっちりと切り替えるタイプだったことが想像できますね。


そんな母親について島さんは、「どっちも好き」と語っています。

女優として真剣に仕事する淡路さんが、普段とは違う顔を見せていても、やはり魅力的に感じていたのでしょうね。

母親にそんな気持ちを伝えていたかどうかは不明ですが、淡路さんにとって、とても嬉しい言葉だったのではないでしょうか。

ちなみに、島さんが挙げた母親とのエピソードの中には、ゲームの話もありました。

酔ったときは大好きな『ドラゴンクエスト』の話を1時間も続けたという淡路さん。

一緒にお酒を飲むときは、楽しそうな淡路さんの話を、島さんがずっと聞いてあげたのかもしれませんね。

息子に見せるそんな顔は、仕事とは違い、とてもリラックスしていたことが伝わってきます。

本当に好きなものを熱く語っている母親の姿も、島さんにとって忘れられない思い出となっているのでしょうね。

子育てには後悔があった?

生前の淡路さんは、人生でやり残したことについて、「子育て」と話したことがあるそうです。

4人の子供を育ててきた淡路さんですが、自分では納得できないものがあったのでしょう。

詳しくは後述しますが、夫の萬屋さんは会社が倒産して負債を抱え、重い病気も患っていました。

そんなことになっては、妻である淡路さんも大変だったはず。


しかし淡路さんは、懸命に夫を支え続けたそうです。

島さんによれば、子供より夫を大事にしているように見えたこともあったのだとか。

当時の淡路さんは、それほど必死だったのでしょう。

そんな状態だったため、子供のことまで十分にできなかったことを悔やんでいたようです。

家族が大変な時期にすべてを1人でこなすのは、さすがに無理があったのでしょうね。

しかし前述のとおり、島さんは淡路さんにとても感謝しているようです。

子供の頃は少し寂しい思いもしたかもしれませんが、愛する夫を支える母親の姿も、島さんは「好き」と感じてくれたのではないでしょうか。

ただ、熱心にサポートしただけに、萬屋さんの不倫発覚はとても残念な出来事でしたね。

三男と四男は死亡

晃廣さんは1990年7月、バイクで帰宅途中に、22歳で不慮の事故により亡くなってしまいました。

タクシーと正面衝突したとのことですが、あまりに早く、悲劇的な最期だったといえます。

淡路さんは錦之介さんと離婚しており、女手一つで10代だった四男の哲史さんを育てる必要がありました。

悲しみに暮れている暇はなかったのです。

哲史さんは6歳の時に萬屋希之照としてデビューしていました。


しかし両親の離婚や、いじめが原因で精神不安定となり、高校を中退。

定職に就かず、酒を飲んで暴れることもありました。

2004年、住み込みで働いていた寺院から、酒代に変えようと仏具を盗難し逮捕。

懲役1年半の判決を受け、執行猶予は3年でした。

しかし同年、今度は母の留守宅で金品を物色し逮捕されています。

執行猶予は取り消され、服役しました。

出所後はアルバイトを始め、自活しようとしていたそうです。

しかし2010年6月、哲史さんは自宅のアパートで首を吊り、37歳で亡くなりました。

自殺とされていますが、理由は不明。

自活しようとしても、元の自堕落な生活に戻りそうになる誘惑を、断ち切れなかったのかもしれません。

淡路さんは2人の息子の死について、語ろうとしませんでした。

それだけショックが大きすぎたのでしょう。

息子たちの死以降、「女優は幸せになってはならない」という意識を抱きながら、孤独な晩年を過ごしたのかもしれませんね。

淡路恵子の遺産はゼロ?

大女優として活躍した淡路さんですが、遺産はいくらあったのでしょうか。

2014年1月に食道がんで亡くなった母の遺産について、長男の英津夫さんは、「一銭もない」と発言しました。

冗談ではなく、本当に遺産と呼べるほどのお金は残っていなかったそうです。

生前、生命保険を解約していた淡路さん。

手元に4,000万円以上あったそうですが、ほとんど哲史さんのために使っていました。

さらに哲史さんは、秘かに母の宝石類を売り払い、遊びに使っていたそうです。


事実とすれば、合計1億円以上の遺産をすべて使い切ってしまったことになるとのこと。

大女優だった淡路さんの遺産がゼロというのは、にわかには信じがたい話ですね。

ただ1着につき、数百万円の価値がある着物類が、50着以上残っているそうです。

英津夫さんは着物類をうまく使って、「出店しよう」と考えているといいます。

貴重な着物類を活用し、うまく資産運用できるといいですね。

成功すれば、哲史さんの行動に対する後味の悪さを、少しは感じなくなるかもしれません。

元夫・錦之助を懸命に看病も不倫で離婚

最初の夫だったダナオさんとは、彼のショーを見に行った際、知人に紹介されて出会っています。

しかし彼には妻子がいたため、事実婚でした。

結局、彼の浮気で破局します。

再婚相手は、歌舞伎役者で映画スターだった、萬屋錦之介さんでした。

彼は生涯に3結婚しており、相手はいずれも女優の有馬稲子さん、淡路さん、甲にしきさんです。

淡路さんは1966年、当時中村錦之助を名乗っていた彼と結婚し、一時芸能界を引退しました。

しかし順風満帆とはいかず、夫の個人事務所「中村プロ」が13億円の負債を抱えて、倒産してしまいます。

さらに重症筋無力症を患った夫を、淡路さんは懸命に看病しました。

貯金が尽きた際は、六本木にあるクラブの雇われママとして働き、看護生活を続けています。

しかし前述のとおり、夫に妻の思いは届きませんでした。

錦之介さんは、甲にしきさんと不倫し、夫婦は1987年に離婚。

淡路さんは、献身的に支えた夫から裏切りを受けたのです。

しかし壮絶な体験を経て、孤高な雰囲気を持つ魅力的な女性になった印象があります。

晩年はバラエティ番組に出演し、過去のつらい体験を激白。

バラエティ番組に出る際は楽しそうな様子だったことから、晩年はやや精神的に余裕ができていたのでしょう。


苦労の末、孤高な境地に至った淡路さん。

せめて天国では、ゆっくり休んでもらいたいですね。

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