有馬稲子、 市川崑との不倫激白。萬屋錦之介と結婚。再婚した夫、子供について

日本の映画黄金期に小津安二郎監督をはじめとする巨匠たちとタッグを組み、華々しく活躍した有馬稲子(ありまいねこ)さん。

戦後を彩る大スターの一人ですが、私生活は決して幸せとはいえませんでした。

市川崑監督との道ならぬ恋や、夫・萬屋錦之介さんとの結婚と破局、実業家との再婚、また子供はいたのかについて詳しくみていきます。

有馬稲子のプロフィール

愛称:ネコちゃん、おイネ

本名:中西盛子(なかにし みつこ)

生年月日:1932年4月3日

身長:158cm

出身地:大阪府池田市

最終学歴:大阪府立夕陽丘高等女学校(現在の大阪府立夕陽丘高等学校)

有馬稲子、市川崑との不倫を告白

90歳を迎える2023年現在、横浜にあるシニア向け高級マンションで悠々自適の日々を送る有馬稲子さん。

演技者としての充実期と昭和の映画全盛期が重なっていたことから往年の大女優というイメージがありますが、じつに70年以上のキャリアを誇る現役の女優です。


ライフワークの舞台『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』は684回の公演回数を重ねて空前のロングラン。

2008年の源氏物語千年紀に開催された『源氏物語』の朗読劇は人気を呼んで「有馬源氏」と呼ばれるように。

2019年公開の前田敦子さん主演『葬式の名人』では謎の女を演じています。

2010年、有馬稲子さんは日本経済新聞に連載中の『私の履歴書』で、ある映画監督との50年以上前の不倫関係を告白。

この事実については1995年発表の自伝『バラと痛恨の日々』でも言及しているのですが、『私の履歴書』ではさらに踏み込んだ内容になっています。

相手の実名こそ伏せられているものの、有馬さんが禁断の恋に落ち、堕胎までさせられたその男性は市川崑監督。

『東京オリンピック』『ビルマの竪琴』「金田一耕助」シリーズなどで知られる巨匠です。

キャストやスタッフのクレジットでは、名前をスクリーンの角にそって直角に曲げて表記する手法もおなじみですね。

二人の関係は、彼女が21歳の時に起用された『愛人』をきっかけに7年以上続いたとのこと。

父親が暴力的で両親の愛情に恵まれなかった有馬さんは、包容力のある父性を求めていたといいます。

17歳年上の市川監督は頼りがいのある男性に映ったのでしょう。

監督は、妻とは別居中だから、けじめがついたら結婚しようと有馬さんに告げ、有馬さんはその言葉を信じて待ち続けます。

授かった命を堕胎したのも監督に言われたからでした。

何度も結婚を引き伸ばされたあげくに、有馬さんはようやく不倫の精算を決意して、求婚してくれた萬屋錦之介さんとの結婚を決めます。

市川監督は結婚を反対し、自分との関係の継続を迫ったばかりか、不倫関係を公にすると脅したりしたそうです。

最初に結婚した夫は萬屋錦之介

萬屋錦之介さんと出会ったのは、まだ有馬さんが市川監督との関係をずるずると続けていた頃でした。

雑誌『近代映画』で錦之介さんと対談をすることになった有馬さんは、準備のために対談相手の映画を鑑賞。

すると、演技者としての錦之介さんオーラにすっかり魅了されてしまいます。

ちなみに、当時はまだ「中村錦之助」でした。

二人は『浪花の恋の物語』で共演しますが、クランクインの10日後に錦之介さんが結婚を前提とした交際を申し込みます。

1961年11月27日にトップスター同士にふさわしい華やかな結婚式を挙げ、京都の豪邸で新婚生活をスタート。

萬屋錦之介さんは歌舞伎界から映画界に転向した俳優であり、もともとは梨園の御曹司。

有馬さんにとっては、伝統的で格式のある婚家での主婦業はなかなか大変だったようです。

さらに義母は嫁の仕事復帰を認めておらず、この作品だけと約束して出演した舞台が大当たり。


女優業が多忙になったことで、錦之介さんも妻と実母の板ばさみになっていたのだそう。

こうした状況から、自分が身を引くのが最善と考えたという有馬さん。

結婚から4年足らずで二人の離婚が発表されました。

再婚した夫と子供は?

萬屋錦之介さんと離婚した有馬稲子さんは、その翌年に『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役に挑み、舞台女優としての地位を確立。

ところが意外なことに、ご本人には演劇の基礎を学んでいないという引け目があったそうです。

そこで、演劇界を牽引する宇野重吉さんの劇団「民藝」に入ることに。

新入りの劇団員としてチケットを売っていた有馬さんは、実業家の河村三郎さんと出会います。

快活で豪快なところがある河村さんは、有馬さんのチケット70枚を全部買ってくれたのだそう。

1969年、有馬さんは河村三郎さんと再婚。

しかし仕事で多忙を極めたことから、またもや結婚生活の歯車が狂いはじめます。

そのうえ河村さんの事業も徐々に傾きはじめていたらしく、やがて会社は倒産。

夫の保証人になっていた有馬さんは多額の借金を背負うことになりました。

最初の結婚に失敗しているだけに、今度の結婚は守らなければと考えていたという有馬さん。

この考え方が裏目にでて、夫は妻に甘えるばかりになってしまったといいます。

二度目の離婚は1983年のことでした。

萬屋錦之介さんと河村三郎さんのいずれとの間にも子供はいません。


有馬稲子さんが告白した市川崑監督との道ならぬ恋は、半世紀以上も昔の話とはいえ、映画ファンには衝撃的でした。

人として幻滅する行為を一人の女優に働いた男性が、一方では多くの名作を生んだ巨匠であることに、どう折り合いをつけてよいかわからなくなったファンは多かったと思います。

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