淡路恵子はドラクエゲーマーでアウトデラックス出演。デヴィ夫人との訴訟、最後もかっこいい

日本を代表する演技派女優として知られた淡路恵子(あわじけいこ)さん。

歯に衣着せぬ物言いでご意見番としても人気を博しました。

淡路恵子のプロフィール

本名:井田綾子

生年月日:1933年7月17日

死没:2014年1月11日

身長:163cm

出身地:東京都品川区荏原

最終学歴:東京都立八潮高等学校中退、松竹音楽舞踊学校卒業

淡路恵子はドラクエの大ファンだった

高校生の頃に舞台女優を志したという淡路恵子さん。

思い立ったら即、行動せずにはいられなかったのでしょう。

あと数ヵ月後の卒業を待たず、高校を中退。

そして松竹歌劇団の劇団員養成機関である松竹音楽舞踊学校に4期生として入学。


普通ならば同校でレッスンを経て松竹歌劇団で舞台デビューというのが既定路線。

ところが淡路恵子さんは黒澤明さんの目に留まった事で映画出演が決定。

こうして出演したのが1949年の映画「野良犬」でした。

舞台よりも先に映画に出演するというのは異例のこと。

きっと淡路恵子さんには当時から人を惹きつける何かがあったのでしょうね。

そして1950年に松竹歌劇団に入団すると草笛光子さん、深草笙子さんとのユニット「スリーパールズ」で大人気となりました。

舞台女優として注目を集めた事で舞台以外の世界からも引っ張りだこに。

1953年から松竹を中心に数々の映画に出演すると1954年には「トコリの橋」でハリウッドデビューまで果たしています。

また、映画だけでなくテレビドラマでも活躍。

1963年に出演したドラマ「男嫌い」からは数々の流行語が生まれるなど大きな話題となりました。

唯一無二の存在感と雰囲気で女優としての地位を確立した淡路恵子さん。

2014年に食道癌で亡くなった際には日本中が悲しみに包まれました。

昭和の芸能界を代表する女優と言っても過言ではない淡路恵子さん。

私生活ではゲームが大好きという意外な一面があったんです。

なかでも「ドラゴンクエスト」シリーズの大ファンを公言。

第一作目からプレイしているそうで、中でもドラゴンクエスト8がお気に入り。

仕事が無ければ3日間徹夜でプレイする事もあり、病気で入院中もベッドの上でドラクエ三昧。

しかも「直ぐにクリアするのが惜しい」という理由でラスボス戦の前でセーブ。

そして別のセーブデータで最初からプレイし直すんだとか。

なお、ドラゴンクエストの第一作が発売されたのは1986年5月27日。

淡路恵子さんは1933年生まれなので、発売当時は53歳。

この年齢でゲームにこれだけハマるなんて凄いですよね。

それだけ若い感性を持ち、新しいものを受け入れる柔軟性があったということなのでしょうか。

また、淡路恵子さんのような大物を虜にしてしまうドラゴンクエスト。

今も多くの人々に愛される理由が分かる気がしますよね。

ゲームにハマったきっかけは?

53歳でドラクエにハマり、芸能界屈指のゲーマーとなった淡路恵子さん。

ただ、当時のゲームは子供や若者向けというイメージ。

50歳を過ぎてゲームに熱中した人は決して多くないはず。

では、淡路恵子さんがゲーム好きとなったきっかけとは何だったのでしょうか。

その理由と言われるのが波乱万丈の私生活。

淡路恵子さんは20歳の頃にフィリピン人歌手のビンボー・ダナオさんと結婚。

ただ、ビンボー・ダナオさんにはフィリピンに妻子がいた事から入籍はせずに事実婚でした。

その後、2人の男の子に恵まれるも夫の度重なる浮気により1965年に離婚。

母国に妻子がありながら他国の女性に手を出すような男性との結婚。

恐らく大方の人々がこの結末を予想出来た事でしょう。

これで淡路恵子さんも結婚はコリゴリと思いきや1966年に萬屋錦之介さんと再婚。

そして再婚を機に女優業から引退しています。

きっと「萬屋錦之介さんを支えたい」という思いが引退を決意させたのでしょう。

そしてその後、再び2人の息子を出産。

前夫との間に誕生した2人の連れ子を含め計4人の母親となりました。

今度こそ幸せな家庭を築いたと誰もが思ったはず。

ところが1982年に萬屋錦之介さんの個人事務所が多額の借金を抱えて倒産。

更には重症筋無力症を発症し、働く事が出来なくなってしまいます。

自宅を売り、貯金を崩しながらの生活も長くは続かず。

家計のために淡路恵子さんが六本木のクラブで雇われママとして働いた時期もあったそうです。

そんな淡路恵子さんの献身ぶりのおかげで萬屋錦之介さんは1983年に重症筋無力症を克服。

芸能活動を再開するようになります。

普通ならば迷惑をかけた妻に恩返しをするところ。


ところが萬屋錦之介さんは元気が有り余ってしまったのか女優の甲にしきさんと不倫関係に。

そしてこの不倫が原因となり1987年に二人は離婚する事に。

女優業を引退してまで支える決意をした夫の裏切りによる離婚。

淡路恵子さんの失望ぶりは想像するに余りあります。

この離婚のストレスを発散するために始めたのがゲーム。

最初は気分転換だけでなく「現実逃避をしたい」という思いもあったのかもしれません。

淡路恵子さん残した名言「ドラクエは裏切らない」。

波乱万丈の私生活を知るとより一層重みが感じられる言葉ですよね。

淡路恵子のおかげでアウトデラックスがレギュラー番組に?

個性豊かな面々が出演する事で人気の「アウト×デラックス」。

著名人の意外な一面も垣間見える事も人気の要因となっています。

淡路恵子さんも2012年に「ゲームをやりすぎて腱鞘炎になった大女優」として出演。

大物女優の意外すぎる私生活は大きな話題となりました。

当時の同番組はまだ特番として不定期に放送されていた頃。

そしてレギュラー放送が決定したのは2013年のこと。

きっと淡路恵子さんの出演に製作陣の想像を遥かに超えた反響があったのでしょう。

その反響に応えるためにレギュラー化が決定したのだと思われます。

実際にレギュラー化されてからは淡路恵子さんは「アウト軍団」としてレギュラー出演しています。

そして亡くなった今も「名誉アウト」として番組公式サイトに名前が残されています。

この事からもレギュラー化に一役買った事は明らかと言えるでしょう。

淡路恵子さんが出演しなければ同番組がレギュラー化される事はなかった。

そう言っても間違いではないかもしれません。

淡路恵子の葬儀でのデヴィ夫人の行動が話題

2014年1月11日に食道癌で亡くなった淡路恵子さん。

22日に青山葬儀所で営まれた告別式には多くの著名人が参列。

故人との最後の別れがしめやかに行われた、と思いきや事件が起きていたんです。

その事件を起こしたのは参列者の一人だったデヴィ夫人。

棺の中の淡路恵子さんにかけられた着物を見ると「燃やすなら譲って欲しい」と発言。

そしてその着物を棺から引っ張り出そうとしたんだとか。

死者を冒涜するかのようなこの行動。

慌てて淡路恵子さんの長男、島英津夫さんが制止した事で大事にはならなかったそうです。


この一連の騒動が週刊誌の記事となった事でデヴィ夫人は激怒。

事実無根であり島英津夫さんの売名行為とブログで批判し、名誉棄損で提訴。

一方の島英津夫さんは不当提訴と反論。

証言は事実でありブログで誹謗中傷されたとしてデヴィ夫人を反訴しています。

その結果は島英津夫さんに88万円の支払いを命じる判決。

また、デヴィ夫人にも33万円の支払いが命じられるという喧嘩両成敗に終わっています。

最愛の息子と友人が争う姿を見て淡路恵子さんは草葉の陰で何を思っていた事か。

「何をやってるんだ」とあきれていたように思えてなりません。

最後までかっこいい淡路恵子

女性を褒める言葉で多用されるのが「可愛い」、「美しい」、「愛らしい」。

ですが淡路恵子さんにピッタリの褒め言葉は「かっこいい」。

生前を良く知る人であればきっと「かっこいい女優だった」と評価する事でしょう。

立ち振る舞いの格好良さは言わずもがな。

特にタバコを持たせたら右に出る者はいないと言っても過言ではありません。

タバコを「六本目の指」と称する程の愛煙家。

淡路恵子さんに憧れて水商売の人達はタバコを吸っていたという逸話も残っています。

また、妻子ある男性と国際結婚で事実婚。

そして再婚した夫を支えるために女優を辞めるという潔さ。

自分の思う道を突き進む生き様も格好良いですよね。

きっと女性だけでなく男性もこんな風に生きてみたいと思うはず。

そんな淡路恵子さんが最後に願った事が「かっこいいお葬式」。

普通のお葬式ではなく、かっこいいお葬式で見送られる事を願ったそうです。

この故人の思いに応えるべく遺影に使われたのはタバコを持ち足を組んだ写真。

祭壇には桜の木やコニャック、トロフィー、着物と一緒にドラゴンクエストのグッズも飾られました。


参列者は皆、「淡路恵子さんらしい葬儀」と思ったはず。

死しても尚、格好良さを貫いた淡路恵子さん。

こんなに素敵でかっこいい女優は二度と出てこないかもしれませんね。

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