杉村春子の子供と夫。献立と沢村貞子の関係。性格は激情、後継者の太地喜和子

大正から昭和、平成にかけて活動した女優の杉村春子(すぎむら はるこ)さん。

劇団文学座の筆頭女優として、名舞台『女の一生』を900回演じ、映画やドラマでも名演を残しました。

今回は杉村さんの知られざる私生活に迫ります。

子供、夫について見ていきつつ、テレビ番組で話題となった献立と沢村貞子さんとの関係を確認しましょう。

併せて性格と、後継者と目されていた太地喜和子さんについてご紹介します。

杉村春子のプロフィール

本名:石山春子

生年月日:1906年1月6日

死没:1997年4月4日

身長:不明

出身地:広島県広島市

最終学歴:山中高等女学校(現在の広島大学付属福山高)

杉村春子の子供は?

杉村さんは大女優というイメージが強いものの、芝居一筋に生きたわけではなく、男性関係も奔放でした。

2度の結婚と、1度の不倫を犯したことがわかっています。


夫と愛人の詳細は後述しますが、奔放だった割に子供は1人も産んでいません。

男性を愛することはできても、さすがに「子供を育てながら女優活動を続けるのは難しい」と、早々に断念した可能性が高いです。

しかし子供に愛情を注ぐ母親役は非常にうまく、実際に子供を育てる母親たちを観察して演技に活かしたのでしょう。

今井正監督による1953年の映画『にごりえ』では、夫に捨てられる女房役を好演。

深い悲しみを抱えながら、子供には愛情を注ごうと懸命に生きる女性の姿を演じ、高く評価されました。

実生活では子供を諦めても、芝居では見事に母親役を演じた杉村さん。

出演する映画や舞台の作品そのものが、彼女にとって大切な子供に他ならなかったのでしょう。

自由奔放な杉村春子、夫は2人

杉村さんは生涯で、2人の男性と結婚しています。

初婚は1933年、5歳年下の医学生だった長広岸郎さんとの結婚。

しかし彼は1942年に、当時は不治の病だった結核で亡くなっています。

その後、文学座の同僚だった劇作家の森本薫さんと交際を開始。

森本さんは彼女の代表作『女の一生』の作者でした。

しかし彼は結婚していたため、2人の関係は不倫だったのです。

戦時下を愛し合いながら生き抜いた2人ですが、森本さんは肺結核に感染し、1946年に34歳で死去。

失意の杉村さんは悲しみを紛らわすように芝居を演じ続け、1950年に10歳年下の医師、石山季彦さんと再婚。

しかし石山さんも1966年に、やはり結核で亡くなりました。

彼女が愛した2人の夫と、1人の劇作家。

いずれも結核で亡くなったのは、奇妙な偶然でした。

3人の死を乗り越えるには、彼女はひたすら芝居に明け暮れるしかなかったのでしょう。

献立と沢村貞子との関係

杉村さんの献立がネット上で話題になっています。

教育テレビで放送されていたという、「ネギのフライ」を作ってみた人がいました。

ただ調べてみたのですが、杉村さんの献立がテレビで紹介されたという情報はありません。

NHKの教育テレビでは、昭和の名女優が記録していた献立を再現する、「365日の献立日記」という番組があります。

しかし同番組で紹介される献立を記録していたのは、沢村貞子さんです。

杉村さんと同じく舞台出身の名女優で、下町風のちゃきちゃきとした雰囲気が魅力的な人でした。

やや芸風が似通っているため、2人を混同している人も多いようです。

ただし杉村さんは芝居に人生を捧げ、料理や家事は母に任せていた時期もあるため、きっと献立をつける暇はなかったはず。

したがってネット上で話題になった献立は、杉村さんのものではなく、沢村さんのものだった可能性が高いですね。

杉村春子の性格は激情型

杉村さんは、非常に興奮しやすい性格の女性でした。

すぐ感情をあらわにし、思ったことを素直に述べるため、周囲の人を傷つけたことも多かったはず。

男性俳優に意見を求めながらも、自分の意見を主張し、曲げることはなかったそうです。

同じ文学座に属していた中村伸郎さんは、「僕が言おうとした意見は全部、春子が先に言っちゃう」と語っていました。

ついに1963年1月、彼女の激しやすい性格と専横的な体制に反感を抱いた人々が、文学座を集団脱退。

芥川比呂志さんや岸田今日子さん、加藤治子さんたち中堅俳優が退団し、「劇団雲」を結成したのです。

同年12月には、杉村さんのために何本も戯曲を書いた三島由紀夫も袂を分かち、文学座は分裂の危機を迎えました。

杉村さんは何とか、残った少数メンバーと協力し合い、劇団の運営を続けます。


彼女の感情的な性格は、豊かな表現力につながったため、女優としては武器だったのでしょう。

しかし多くの仲間を失うことになるほど、感情のコントロールができない点で、人間らしい人だったのかもしれませんね。

後継者だった太地喜和子

杉村さんは仲間を失いながらも、樹木希林さんや太地喜和子さんといった、実力派の後輩を育て続けます。

太地さんは、高い表現力と芸者風の色気を備えた名女優であり、「杉村春子の後継者」と目されていました。

文学座分裂騒動から立ち直りたい杉村さんにとって、優れた後輩の登場は慰めになったことでしょう。

太地さんは『華岡青洲の妻』や『遊女夕霧』などの舞台で名演を見せました。

私生活では三國連太郎さんや志村けんさんとスキャンダルになるなど、奔放な男性関係も師匠譲りだったようです。

しかし彼女は人気絶頂の1992年10月13日、悲劇的な最期を遂げます。

『唐人お吉』の公演で滞在していた静岡県伊東市で、立ち寄っていたスナックのママが運転する車に乗車。

しかし車は桟橋から海に転落します。

同乗していた文学座の俳優、外山誠二さんと大滝寛さんは泳いで生還しますが、太地さんは泳げずそのまま亡くなりました。

しかも乗車前に飲酒していたため、生還は難しかったようです。

また48歳の早すぎる死でした。

杉村さんは愛弟子の死について、「こんなことってあるかしら」と声を詰まらせて悲しみました。


戦前から戦後を生き抜いた女優の波乱万丈な生涯は、最後まであまりにドラマチックだった印象があります。

太地さんの死から5年後に亡くなった杉村さん。

多くの悲劇に見舞われながらも、俯瞰してみれば、あっぱれな女優人生だったといえるかもしれません。

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