沢村貞子の家系図。3度の結婚と夫、兄弟について。レシピと着物愛、掃除エピソード

脇役女優として生涯に350本以上の映画に出演した、沢村貞子(さわむら さだこ)さん。

『貝のうた』や『私の浅草』などエッセイを数多く残し、名文家としても知られました。

彼女の献立日記をもとにしたNHK番組「365日の献立日記」で、その存在を知った人もいるかもしれません。

今回は名脇役の沢村さんについて、家系図、夫、兄弟の情報に迫ります。

またレシピ、着物愛、掃除のエピソードをご紹介します。

沢村貞子のプロフィール


本名:大橋貞子(おおはし ていこ)

生年月日:1908年11月11日

死没:1996年8月16日

身長:不明

出身地:東京都台東区浅草

最終学歴:日本女子大学校師範家政学部(現在の日本女子大学家政学部)中退

沢村貞子の家系図

沢村さんの家系図を見ていきましょう。

彼女の一族は「俳優一家」です。

父は歌舞伎作者の竹芝傳蔵。

兄弟は後述しますが、兄は歌舞伎俳優だった沢村国太郎さん、弟も俳優の加東大介さんでした。

国太郎さんの妻も女優のマキノ智子さんです。

智子さんの父は、「日本映画の父」と呼ばれた元祖・映画監督の牧野省三でした。

長男は長門裕之さん、次男は津川雅彦さんです。

沢村さんにとって2人は甥にあたります。

映画と演劇の分野で活躍した、錚々たる人々ですね。

沢村さんは役者の家系に生まれ、芸事が好きな子供に育ちました。

6歳から長唄と舞踊を始め、小学校2年生にして、弟の加東大介さんの付き人として劇場通いしていたそうです。

子供が子役の付き人をするというのは驚きですが、役者の家系ならではの習慣だったのでしょう。

男兄弟は当然のように歌舞伎俳優の道へ進んだものの、沢村さんはかつて教師を目指していました。

しかし日本女子大学校の家政学部で教師同士のいざこざを目の当たりにし、教育界に失望。

役者の道を進もうと決意したのです。

芝居の名門一家に生まれた彼女にとって、女優の道に進むことは必然だったのでしょう。

沢村貞子の夫は?

沢村さんは生涯で3度結婚しました。

1931年、左翼劇場の書記長だった俳優の今村重雄さんと結婚。

しかし彼女は翌年、治安維持法違反により逮捕されます。

左翼思想の転向を迫られますが拒否し、10カ月の独房生活を送りました。

1933年、ついに転向を声明、左翼主義者の今村さんとの離婚を誓うことで保釈されたのです。

つまり最初の離婚は、思想的な問題によるものでした。

3年後の1936年、映画俳優の藤原釜足さんと結婚。

しかし新聞記者だった大橋恭彦さんと交際を始め、藤原さんと離婚。

大橋さんとは駆け落ちに近い形で同棲しますが、彼に妻子がいたため、長年内縁の妻でした。

1968年、ようやく正式に結婚し、大橋さんが1994年に心不全で亡くなるまで添い遂げています。

波乱に満ちた3度の結婚歴。

彼女の一筋縄ではいかない性格がうかがえますね。

沢村貞子の兄弟

沢村さんの兄は歌舞伎俳優の四代目沢村国太郎さんです。

1905年生まれで、妻は女優のマキノ智子さんでした。

歌舞伎の女形として活躍後、妻の父である牧野省三が設立したマキノ・プロダクションの映画に出演。


戦後は日活をメインに、映画スターとして多くの名作に出演しました。

やはり元歌舞伎俳優のため、『地獄門』(1953年)や、『新・平家物語』(1955年)などの時代劇で活躍しています。

1960年に脳卒中で倒れて半身不随となり、病気療養を経て1974年に69歳で亡くなりました。

沢村さんの弟は1911年生まれの俳優、加東大介さん。

本名は加藤徳之助といいました。

元々は「市川莚司」という歌舞伎俳優でしたが、その後、兄と同じく映画界で活躍。

戦後は『羅生門』(1950年)や『七人の侍』(1954年)、『用心棒』(1961年)など黒澤明の映画で常連となりました。

はっきりとものを言う姉の沢村さんと対照的に、弟の加東さんは温厚な性格だったようです。

家庭内で女性同士が喧嘩し始めると、加東さんがやんわりと仲裁していました。

まるまるとした顔にふさわしく、ムードメーカーだったのでしょう。

1975年、結腸がんにより64歳で亡くなりました。

沢村さんはムードメーカーを失ったことで、しんみりとした気分になることも多かったでしょう。

沢村貞子のレシピは?

NHK教育「365日の献立日記」は、沢村さんの献立日記を再現する料理番組です。

フードスタイリストの飯島奈美さんが監修し、「そら豆のクリーム和え」や「うにごはん」など魅力的な料理を紹介しています。

実は沢村さんは、日々の料理を「献立日記」として記録していたものの、レシピは残していません。

番組では料理名をメモしただけの献立日記と、料理が登場するエッセイの記述を参考に、飯島さんが想像しながら料理するのです。

毎回おいしそうな料理やおつまみが登場し、見ているだけでお腹が空いてしまう同番組。

沢村さんがこまめに記録した献立日記を見て、「現代の女優であれば、SNSで献立を発信していただろう」と考える人もいるようです。

沢村さんならきっと、おいしそうに料理を撮影し、投稿していたかもしれませんね。

沢村貞子の着物愛


沢村さんは、着物エッセイ『きものと私』を残したほどの着物好きでした。

洋服に比べて体の線が見えにくいため、年齢を重ねてからは和服で老いを隠す習慣がついていたそうです。

とくに世田谷区経堂にある「井筒屋」の着物を愛用していました。

創業250年を超える老舗で、オリジナル着物の製作や染め直しも行っています。

沢村さんは私物、衣装を問わず、「井筒屋」の着物を愛し、着物の「コンサルタント」と評価しました。

銀座の高級呉服店に比べて地味な存在ではあるものの、華やかな着物より、素朴な味わい深い着物を愛していたのかもしれません。

ちなみに沢村さんが亡くなる前、NHKに所有していた着物を贈ったという情報がありました。

「大正もの」の作品で使えるため、NHK側は喜んだそうです。

しかし結局ほとんど処分されたとのこと。

真相は不明ですが、いざ衣装として使おうとしたものの、何らかのトラブルで使えなかったのかもしれません。

いずれにせよ着物の大半が処分されたという情報が事実なら、もったいない話ですね。

沢村貞子の掃除エピソード

沢村さんは幼い頃から当たり前のように家事を手伝っていました。

そのため料理に加え、掃除もお手の物。

もちろん現代と異なり、掃除機がなく、ほうきやはたきで家中を掃除するのは骨が折れたようです。

しかし体に染みついた掃除の習慣で、家が汚いとすぐ掃除を始めていました。

本格的な掃除とは別に、少し汚れている所をサッときれいにすることを、「小掃除」と名付けて楽しんでいたようです。


楽しみながら、手際よく料理や掃除に励んでいた沢村さん。

多くの女優が仕事と家庭を両立させられなかったにもかかわらず、彼女は女優としても、主婦としても活躍できました。

主役級ではなく脇役に徹したことと、幼少期から家事の腕を磨いたことが、彼女の人生を豊かにしたのでしょう。

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