西田敏行の娘は2人、妻と家族について。家、生い立ちと養子の過去

コミカルな演技と愛嬌ある笑顔でおなじみの西田敏行(にしだ としゆき)さん。

「釣りバカ日誌」シリーズや、2021年放送のTBSドラマ『俺の家の話』でも人気を博してきました。

今回はユーモラスな雰囲気でおなじみの西田さんが、どのような人生を歩んできたのか見ていきます。

まず娘、妻、家族、家について確認しつつ、生い立ちと養子だったという情報にも迫りましょう。

西田敏行のプロフィール


本名:西田敏行

生年月日:1947年11月4日

身長:166cm

出身地:福島県郡山市

最終学歴:明治大学農学部中退

所属事務所:オフィスコバック

西田敏行の娘は2人、テレビ共演も

まず西田さんの娘についてです。

西田さんに息子はおらず、2人の娘がいることがわかっています。

1976年生まれの彩夏(さやか)さんと、数年後に生まれた梨沙(りさ)さんです。

1980年代、第一生命や雪印のCMに親子で出演しており、幼い頃の娘さんの姿を確認できます。

またフジテレビの「ドリフ大爆笑」にも親子で出演しました。

ただ彼女たちは女優にならず、今は一般人ということで、2021年現在の詳しい情報はありません。

結婚しているか、独身かどうかも不明。

西田さんに孫がいるという情報はないため、2人とも子供を産んでいない可能性もあります。

あるいは個人情報保護に敏感な時代のため、孫の情報が漏れないようにしているのかもしれません。

いずれにせよ、2人の娘さんたちは成人後、芸能界に進まなかったことは確かです。

幼い頃からテレビ出演で芸能界の舞台裏や大変さを知り、「芸能人にはなりたくない」と思ったのかもしれませんね。

西田敏行の妻は女優志望だった

西田さんの妻は、4歳年下の寿子さんという女性です。

2人は日本を代表する名門劇団「青年座」で出会いました。

出会った当時、西田さんは正式な座員で、寿子さんは女優志望の研究生だったそうです。

西田さんは彼女に一目惚れし、アプローチした結果、四畳半のアパートで同棲を開始。

しかし2人とも貧乏な劇団員ということになると、生活は成り立ちません。

そこで寿子さんは女優を辞めて働きながら、家計を支える立場に回ったそうです。

1974年に結婚した2人。

彼女の献身的なサポートに加え、西田さんがテレビ出演で人気を獲得し始めた結果、順調に生活できるようになりました。

結婚から2年後に、西田さんはTBSドラマ『いごこち満点』と『三男三女婿一匹』にレギュラー出演。

1978年には『西遊記』で猪八戒、1981年のNHK大河ドラマ『おんな太閤記』で豊臣秀吉という重要な役を演じました。

文字通り、売れっ子俳優になった西田さん。

ただし彼が俳優として成功するには、妻の支えが不可欠だったといえるでしょう。

西田敏行の家族、家

西田さんの一家は、妻と2人の娘の4人家族とされてきました。

娘の夫や子供については情報がないため不明です。

ただ売れっ子になってから、世田谷区の粕谷に一軒家を建て、妻だけでなく両親と共に暮らしてきたとのこと。


西田さんは福島県の出身で、両親を郷里から呼び寄せて、一緒に住み始めました。

ただし西田さんの両親は、実の親ではありません。

実の父親は今井泉さんという名前で、家老の家系の子孫だったそうです。

実母の紀惠さんは今井さんより31歳年下で、あまりの年の差婚に周囲から反対されたものの、反対を押し切って結婚。

しかし西田さんが4歳の時に、今井さんは病気で急死。

以降は母方の伯母夫婦が、育ての親として西田さんを引き取ったのです。

では以下から、より詳しく彼の生い立ちを見ていきましょう。

西田敏行の生い立ち。養子だった?

西田さんは4歳の時に実父を亡くしました。

実母は再婚を望みましたが、再婚したい相手にも子供がいたそうです。

そこで彼女は、子供がいない姉夫婦に、西田さんを養子に出すことを決めました。

こうして西田さんは、5歳で伯母夫婦の家へ養子に入ったのです。

養母は西田美代さん、養父は西田辰治さんという人でした。

養父は洋画好きで、よく西田さんを映画館へ連れて行ってくれました。

養父と一緒に映画を観るうちに、段々と役者に憧れ始めたそうです。

「役者になりたい」と伝えた際も、両親は応援し、援助を惜しみませんでした。


役者になるきっかけを作ってくれた養父と、育て上げてくれた養母に、今でも感謝しているに違いありません。

長きにわたって俳優活動を続けてきた西田さん。

念願のマイホームに両親を住まわせたのは、あたたかく応援し続けてくれたことへの恩返しだったのでしょう。

西田敏行の病気と現在。車椅子姿で出演も歩行には杖。体調の近況まとめ

コメント