星由里子の息子、出産について。夫・花登筺、3度の結婚歴

「八重歯のシンデレラ」と呼ばれた歌手で女優の星由里子(ほし ゆりこ)さん。

晩年はNHK大河ドラマ『篤姫』で圧倒的な貫録を見せました。

2018年、74歳で肺がんにより亡くなるまで現役で活躍していた星さん。

今回は彼女について、息子、出産、夫の花登筺さんの情報を見ていきます。

また3度の結婚歴を振り返りましょう。

星由里子のプロフィール


本名:清水由里子

生年月日:1943年12月6日

死没:2018年5月16日

身長:164cm

出身地:東京都千代田区鍛冶町

最終学歴:精華学園女子高等学校

最終所属:東宝芸能

星由里子の息子は連れ子

まず星さんの息子について見ていきます。

星さんには、善満さんという息子がいました。

しかし実際の息子ではなく、夫である清水正裕さんの連れ子だったそうです。

夫婦は共に再婚でした。

1990年、旅行代理店の役員である清水さんと結婚した時、彼女は47歳。

実際に子供を産むことは、年齢的に難しかったのでしょう。

星さんは晩年、夫の母親と京都に暮らしていました。

東京で仕事する際は、善満さんの家に泊まっていたといいます。

血のつながりがないとはいえ、仲良しだったようですね。

3度の結婚歴がある星さんですが、最後は清水さんとの暮らしに落ち着きました。

亡くなる時も、病院で彼に看取られています。

善満さんは2023年で39歳になるようです。

星さんが亡くなって、ふと寂しさを感じる瞬間もあることでしょう。

星由里子の出産経験

星さん自身には出産経験がありませんでした。

女優として長年、第一線で活躍し続けるためにも、出産は諦めたのかもしれません。

「若大将」シリーズのヒロインや、『男はつらいよ』のマドンナを務めるなど、女優としては順調に活躍していた星さん。

しかし3度の結婚歴からうかがえますが、家庭ではなかなか幸せになれなかった印象があります。

出産を諦めた分、3人目の夫の連れ子を、実際の子供のようにかわいがっていたのかもしれませんね。

夫の花登筺

星さんの夫の中で最も有名だった男性が、作家の花登筺(はなと こばこ)さんです。

地元の滋賀県大津市で芝居を上演、同志社大学卒業後はフリーの脚本家として活動。

テレビ草創期の1958年、大阪テレビ放送『やりくりアパート』で注目され、以降は喜劇を中心にさまざまな脚本を執筆しました。

とくに大阪の商人を描いた根性物の作品で知られ、生涯に6千本もの脚本を書いたとされています。

『どてらい男』や『女商一代 やらいでか!』など数多くの代表作を残しました。

また大和田獏さんの芸名を考えた、名付け親でもあります。


花登さんにも3度の結婚歴があり、星さんは最後の妻です。

1975年に結婚し、83年に花登さんが肺がんにより55歳の若さで亡くなるまで夫婦でした。

2人は仲が良かったようですが、残念ながら死別のため、8年間で結婚生活は終わってしまったのです。

星さんは再婚までの7年間を、悲しみに暮れながら過ごしていたのかもしれません。

3度の結婚歴

星さんの結婚歴をまとめましょう。

1969年の初婚での相手は、横井邦彦さん。

ホテル・ホテルニュージャパンのオーナー横井英樹の息子でした。

結婚式はもちろん、ホテルニュージャパンで盛大に行われています。

しかし挙式から、わずか80日後に破局しました。

のちに日本史上最悪と呼ばれる火災によって33人の犠牲者が出た同ホテル。

ずさんな管理やオーナーの闇が深い人格が、問題となりました。

異様ともいえる家庭環境だったため、星さんはとても耐えられなかったのかもしれません。

元夫の邦彦さんは、2008年に自殺。

原因は不明とされていますが、やはり闇の深い一族だったことは間違いないでしょう。

星さんは離婚後、花登筺さんと再婚し、死別。


そして清水正裕さんと再々婚し、ようやく幸せを手に入れたのでしょう。

大女優の数奇な結婚歴。

波乱に満ちた人生を送りながらも、最後まで凛々しく活躍し続けた女優だったといえるでしょう。

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