フジテレビのアナウンサーとして一時代を築いた露木茂(つゆきしげる)さん。
これまでに築き上げた数々の功績は今も語り草となっています。
露木茂のプロフィール
愛称:露さん
生年月日:1940年12月6日
出身地:東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)
最終学歴:早稲田大学 政治経済学部 経済学科
所属事務所:TBSスパークル
露木茂の現在
露木茂さんも2024年で84歳。
決して若いとは言えない年齢となっています。
ですが、キャスト・プラスに所属して講演活動を行うなど、まだまだ現役。
司会や講演活動など積極的に行っているようです。
ステージ横で、司会の露木茂さんと永井美奈子さん。三枝成彰さん、私。そして2人にとっては女が孫のようなヴァイオリニストの服部百音さん。 pic.twitter.com/ixk3CdoIiV
— 湯川れい子 (@yukawareiko) March 11, 2023
そして趣味のカメラを楽しみ、友人とハワイバンドを結成するなど私生活も充実。
長年、第一線で働いたご褒美として悠々自適な日々を過ごしている事が分かりますね。
アナウンサー同窓会が話題
高齢の露木さんですが、2020年代に入ってからも、ときどき元気な姿を見せてくれます。
例えば、フジテレビの元アナウンサーである阿部知代さんとのツーショット。
フジテレビのアナウンサー同窓会に参加したという阿部さんが、2023年11月25日に写真を紹介してくれたのです。
昨夜は「フジテレビアナウンサー同窓会」。
元と現役あわせて約70人が集まり、華やかで賑やかでした。
入社以来最もお世話になり、仕事が無い時代も折に触れ励ましてくださった大好きな上司に、定年退職のご報告を。「よく頑張った」
と言っていただき、泣きそうでした。#露木茂#フジテレビ pic.twitter.com/TPSTilYN2I
— Chiyo Abe (@abechiyo_Ho) November 25, 2023
とてもいい笑顔の阿部さんと露木さん。
長い時間が経過しても良好な関係が続いているのは、素敵なことです。
いつも気にかけていた阿部さんからの「大好き」という言葉は、露木さんにとって嬉しいものだったでしょうね。
この写真で久々に露木さんを見た人は、楽しそうな様子にほっこりしたのではないでしょうか。
後輩とフジテレビ時代を振り返る
後輩との最近の話題だと、ラジオ「長野智子アップデート」もありますね。
2024年現在はフリーの長野さんですが、昔はフジテレビ所属。
当時、長野さんをアナウンサーとして採用したのが露木さんでした。
その縁で、2024年4月1日からスタートした長野さんの番組に、初回ゲストとして露木さんが登場。
フジテレビ時代の思い出を語り合っていました。
文化放送で4/1から夕方に長野智子のアップデートというニュース番組が始まった。
おいでよクリエイティブも面白かったが長野さん当日のニュースが分かりやすく聴きやすいねー。
なお初日のゲストは露木さんだったねー。🤹— まるみん(客) (@marumin0321) April 2, 2024
長野さんが入社して2~3年の頃は、採用理由について「試しに採った」冗談めかしてと言ったという露木さん。
しかし番組のトークでは、入社試験の日に「頭ひとつ出ている」と感じていたことを明かしました。
やはり、長野さんに光るものを感じたからこそ、採用を決めたのでしょうね。
このように、露木さんは近年もたびたび話題になります。
大きな病気などの情報もなく、まだまだ元気に過ごしているものと思われます。
現在もテレビの魅力に期待
2023年には、当時70周年となったテレビの歩みについて、露木さんが語ったこともありました。
その中では、テレビの元気がなくなっていることにも言及していました。
しかし、まだ期待は持っているという露木さん。
復活の鍵として挙げたのは、新しい技術とうまく融合すること。
近年のドローンの技術などは、テレビを面白くする可能性があると考えているそうです。
再びテレビが盛り上がれば、露木さんも笑顔でうなずいてくれることでしょう。
そんな日が、またいつか来るといいですね。
露木茂の自宅が話題
地方かキー局か、どこのテレビ局かによって年収が変わるアナウンサー。
キー局の場合は年収が1000万円を超える事も珍しくないそうです。
そんな中で部長や次長、エグゼクティブアナウンサーなどの要職を歴任した露木茂さん。
おそらく相当な高給取りだった事は間違いないでしょう。
それを証明するのが自宅。
露木茂さんの自宅があると言われるのが高級住宅地として知られる世田谷区。
そこにある5LDKの戸建て住宅で暮らしているそうです。
自宅は木の温もりを求めて木造建築。
また、背の高い露木茂さんでもゆっとり過ごせるようなゆとりある空間になっているそうです。
庶民の感覚からすれば世田谷区にゆとりのある自宅を建てるなんて夢のまた夢。
露木茂さんはかなりの年収だった事が分かりますよね。
今でも広々とした自宅に友人や巣立った子供達を招いて楽しい時間を過ごしている事でしょう。
日航機墜落事故での対応を逸見政孝が絶賛
1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故。
乗客、乗員合わせて520名が亡くなるという凄惨な大事故でした。
アナウンサーとして活躍した逸見政孝さんも実はこの飛行機に搭乗予定だったんだとか。
早稲田大学を卒業した1968年にフジテレビに入社した逸見政孝さん。
「自分にもできそうで高収入」という事からアナウンサーを志したんだとか。
アナウンサーを目指した動機は不純にも思えますが根は至って真面目。
関西出身だった事から標準語に矯正するためアクセント辞典が真っ黒になるまで猛勉強。
アクセントが完璧だった事から入社後、「アクセント辞典を食べた」と噂された事もあったそうです。
そしてBIG3と呼ばれるタモリさん、ビートたけしさん、明石家さんまさんを仕切れる唯一の人物として高い評価を獲得。
フリーに転身するまでは露木茂さんとフジテレビの二枚看板として大活躍しました。
そんな逸見政孝さんは大阪の実家に帰省する際に日本航空123便に搭乗を予定。
ところが直前になって息子が「新幹線の方が安い」と提案した事からキャンセルしたんだとか。
そして大阪の実家で日本航空123便墜落事故を知る事に。
東京に戻る事も考えたそうですが、その時、目に入ったのが報道特別番組で司会を務める露木茂さんの姿でした。
特番開始当初の原稿は「乗客乗員全員死亡」という内容でしたが、放送開始直前になって生存者発見の知らせが。
そのため露木茂さんは原稿をゴミ箱に捨てて番組に臨んだそうです。
そして原稿が無い状態で10時間も報道特番で司会を担当しました。
こんな姿を見たら東京に戻らない、という選択をするのも納得ですよね。
この報道番組の対応が高く評価され露木茂さんは日本新聞協会賞を受賞。
また、後になって逸見政孝さんも著書で絶賛しています。
これこそ露木茂さんが唯一無二のアナウンサーである何よりの証明。
人気だけのアナウンサーにはとても真似するが出来ない芸当と言えるでしょう。
朝の情報番組に起用されたのは代役だった
2002年にフジテレビを定年退職した露木茂さん。
すると同年4月1日からTBSの朝の情報・報道番組「おはよう!グッデイ」に司会として出演しています。
実は企画段階で司会者として名前が挙がっていたのは安住紳一郎さん。
ですが実現しなかった事から白羽の矢が立ったのが露木茂さんでした。
安住紳一郎さんと言えば誰もが認めるTBSの看板アナウンサー。
そのアナウンサーを司会にしようとしたのはそれだけTBSが力を入れた番組だから。
元他局のアナウンサーにも関わらずそんな番組の司会者に抜擢されるなんて凄い事ですよね。
それだけ他局でも露木茂さんの評価が高かったという事でしょう。
TBSの期待を一身に背負って始まった「おはよう!グッデイ」。
ですが長寿番組とはならず残念ながら1年で終了してしまっています。
ただ、これで露木茂さんの評価が下がるような事はありません。
それはその後も様々な番組に出演している事からも明らかですよね。
今となっては貴重となった本物のアナウンサーである露木茂さん。
これからも体が動く限り活躍していく事でしょう。
露木茂の経歴まとめ
早稲田大学を卒業した1963年にフジテレビに入社した露木茂さん。
アナウンサーとしての初仕事はアニメ「鉄人28号」。
このアニメの最初に流れる有名な台詞が初仕事だったそうです
そして1965年から「小川宏ショー」で司会を務めた事で一躍人気に。
1970年には同番組の司会ぶりが評価され、ギャラクシー賞を受賞。
その後も「FNS歌謡祭」や「FNNスーパータイム」などの人気番組で司会を担当。
名実ともにフジテレビの顔と呼べるアナウンサーでした。
その人気を裏付けるのが「徹子の部屋」への出演。
他局の現職アナウンサーでありながら徹子の部屋に出演したのは露木茂さん唯一人だけ。
もはや当時を代表するアナウンサーと呼んでも過言ではないでしょう。
これだけの人気アナウンサーであればフリー転身の話もあったはず。
ですが、露木茂さんは定年までフジテレビに在籍。
フジテレビがそれだけの肩書を与えていた、というのも理由の一つかもしれません。
ただ、それ以上に「アナウンサーとはかくあるべき」という姿勢を貫いた結果のようにも思えます。
フジテレビを定年後、他局の情報・報道番組で総合司会を務めたのが何よりの証拠。
人気だけのアナウンサーであれば情報・報道番組ではなくバラエティ番組からお声がかかった事でしょう。
その他、長年報道のプロとして活躍した事から内閣府専門委員や日本記者クラブ企画委員にも就任。
また、東京国際大学や早稲田大学で教壇に立つなど後進の育成も積極的に行っていました。
露木さんの言葉を胸に、仕事をがんばっている人も多いのでしょうね。
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