国民的お笑い芸人として活躍した志村けん(しむら けん)さん。
2020年に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなるまで、現役で活動し続けました。
今回は志村さんがプライベートでどのような人生を送ったか、家族の情報から確認しましょう。
志村さんにそっくりな兄の情報、母親との共演を見ていきます。
また父親が交通事故の後遺症で認知症を患ったという情報も、詳細を確認します。
志村けんのプロフィール
本名:志村康徳(しむら やすのり)
生年月日:1950年2月20日
死没:2020年3月29日
身長:169cm
出身地:東京都東村山市
最終学歴:東京都立久留米高等学校
最終所属事務所:イザワオフィス
志村けんの兄はそっくり
まず志村さんにそっくりな兄をご紹介します。
兄の志村知之さんは、長年地元の東村山市に暮らしてきました。
東村山市の職員として、地域に貢献してきたそうです。
お顔を見ると、面長の骨格、濃い眉毛、目じりの下がり方が志村さんにそっくりですね。
志村けん 兄 pic.twitter.com/sxKLpfBaul
— ドンキ@ゆっくり。マイペースに生きる。 (@tanoshimu8) July 11, 2018
髪の毛の量は知之さんの方が多いため、兄にもかかわらず年齢より若く見える印象です。
これまで「そっくり兄弟」として注目されてきた2人。
志村さんの死後は、知之さんの元に取材が殺到しました。
「まさか弟が亡くなるとは思っていなかった」と語った知之さん。
2020年3月23日夜、所属事務所から連絡を受け、弟が体調不良で東京都済生会中央病院に入院したことを知ります。
当時は新型コロナウイルスの恐ろしさをわかっていなかったため、深刻に受け止めなかったそうです。
しかし翌日には国立国際医療研究センターへ転院。
28日に見舞うと、人工心肺装置を装着した志村さんは、すでに意識がなかったといいます。
直接の対面ができなかったため、タブレット端末越しに弟の様子を確認。
本名の「康徳(やすのり)」に由来するあだ名で、「やっさん」と呼びかけました。
しかし反応はなく、そのまま新型コロナウイルスによる肺炎で29日に永眠。
初主演映画『キネマの神様』と朝ドラ『エール』への出演に意欲を見せていた矢先の死でした。
電話で訃報を聞いた知之さんは、ショックで寝られなかったそうです。
対面が許されなかったため火葬場にも行かれず、葬儀社の職員から遺骨を受け取ったといいます。
6月25日の東村山市議会では、志村さんを名誉市民とする議案が、満場一致で可決されました。
会場に招かれた知之さんは、声を詰まらせながらも喜びのコメントを表明。
最後に「神聖な場ではあるが」と前置きし、会場の人々に「ぜひご一緒に」と呼びかけて弟の代名詞「アイーン」を披露しました。
ちなみに会場には、志村さんの次兄である美佐男さんも出席。
長兄の知之さんに比べると、志村さんとは似ていませんが、3人で仲良く酒を酌み交わす写真も残っていました。
故・志村けんの在りし日を偲んで
兄・志村知之さんと志村美佐男さんとの兄弟揃って酒を飲む。🍶。今後は家族葬を執り行い、お別れの会はコロナが落ち着いてから決定する。#志村けん追悼 #志村けんさんありがとう #志村知之 #志村美佐男 pic.twitter.com/BQavbe372a— 井出 雅之 (@ide_masayuki) April 1, 2020
美佐男さんは長兄と同じく、公務員として活動してきたそうです。
弟に先立たれた兄たちは、いつかまた3人で酒を酌み交わす日を夢見ながら、前向きに生活し続けているのでしょう。
母親との共演
志村さんの母は、2015年11月に96歳で亡くなった、志村和子さんです。
けんちゃん
明日は #命日…
なんか早いね今日、けんちゃんの #一周忌 と和子さんの七回忌の法要が無事に終わったよ
身内だけの少人数でコロナだから会食もなく、皆でゆっくり偲ぶ事もできない
未だにお別れ会もできてないし…
コロナさえ無ければ…
って思っちゃうよね
悔しくて切ない#志村けん pic.twitter.com/dkNE8DHl1i— シムシム (@Kensnephew) March 28, 2021
彼女はメディア出演もこなし、お茶の間で知られる人気者だったため、通夜には芸能関係者を含む600人が参列しました。
和子さんは「志村けんのいちばんのファン」と呼ばれていたほど、息子を心から愛し続けていたそうです。
志村けんさんのお母様、和子さんは5年前に96歳で天寿を全うされました。息子さんのデビュー当時から、週刊誌での記事などを保存しておくなどしていて、芸人志村けんの一番のファンである方でした。どうかあちらでも仲良く…#母の日 #志村けん #ザ・ドリフターズ pic.twitter.com/VtpUX67Tys
— 長山拳成(ベース垢) (@UUkcsN6jbf0b5Mx) May 10, 2020
志村さんが最後に母と話したのは、2015年8月の舞台『志村魂(しむらこん)』でのこと。
車椅子で観劇に来た母から「大変だね」と声をかけられ、「大丈夫」と応えたそうです。
彼女はかつて、必死に家族10人を支えていた苦労人でした。
若い頃に苦労した分、晩年は息子の活躍を眺めながら、幸福に暮らしていたようです。
2人はかつて、バカ殿のコントで共演しています。
バカ殿が女性とベッドインするコントで、振り返ると女性は母だったという設定でした。
和子さんは「恥ずかしいからいいよ」と言いつつも、表舞台に出ることは好きだったようです。
最愛の息子との共演に、和子さんは嬉々として出演したのでしょう。
生前彼女は、「孫の顔を見るまで生きる」と話していました。
しかし志村さんは交際した女性と結婚に至らず、生涯独身だったため、孫の顔を見たがっていた母の願いを叶えられませんでした。
大スターとなり十分に親孝行しながらも、子供を作らなかったことは、唯一の心残りだったのでしょう。
それでもいちばんのファンだった和子さんにとって、志村さんは自慢の息子だったはず。
今では天国で再会し、思う存分語り合っていることでしょう。
父親は交通事故により認知症に
志村さんの父・志村憲司(しむら けんじ)さんは、小学校教頭で、柔道に秀でていた人物です。
#志村けん #ファミリーヒストリー#nhk
お父さんの憲司さん豊島師範入学。全国中学柔道大会20回制覇の柔道部へ。 pic.twitter.com/cdRvIAoNL9— meza mashi (@meza_mashi) May 28, 2018
憲司さんは厳格な性格だったため、志村家は重い空気に包まれていたそうです。
ただしお笑い番組を見ているときだけは、声を出して笑っていたといいます。
厳格な父が笑うことで家中の雰囲気が一瞬あたたかくなるため、志村さんはお笑いのすばらしさに目覚めたのです。
そんな憲司さんは1962年、42歳で交通事故に遭遇。
バイクでの通勤中に、後ろのバイクから追突されたといいます。
3年後には脳出血の固まりが原因となり、重度の脳障害を発症しました。
病名は記憶喪失を伴う認知症だったといいます。
憲司さんは事故に遭ってから10年後、働き盛りの53歳で亡くなりました。
志村さんの人生に暗い影を落とした父の死。
しかし彼は悲劇にもめげることなく、国民的お笑いスターとなりました。
憲司さんは天国から、息子を誇りに思いながら見守っていたことでしょう。
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