志村けんさんの表情で記憶にあるのは、「はにかむような優しい笑顔」しかないような気がします。
きっと私生活でも穏やかな方だったのではないかと思われてなりません。
志村けんさんには、とても人柄の良さを偲ばせるエピソードが盛り沢山。
今回は、そのいくつかについて紹介していきます。
志村けんのプロフィール
愛称:けんちゃん
本名:志村康徳(しむらやすのり)
生年月日:1950年(昭和25年)2月20日
死亡年月日:2020年(令和2年)3月29日
身長:169cm
出身地:東京都東村山市
最終学歴:東京都立久留米高等学校
所属事務所:イザワオフィス
志村けんの人柄
志村けんさんは、どれだけ売れっ子になってもおごることなく、いつもきちんとした方だったように見受けられます。
「人を笑わせるには、常識があり、人の気持ちがわかる人間でないといけない」という信念があったそうです。
ドリフターズのメンバーの中で一番最後に加入したのが志村けんさん。
メンバーとはいつも敬語で話し、さらに自分の後輩に対してもきちんとした態度で接しており、芸能界でも好感度が非常に高かったといいます。
「自分のライバルは自分自身だ」という気持ちを持ち続けたからこそ、厳しい業界でも常にトップの位置に立ち続けることができたのでしょう。
優しさと人望、かっこ良さ
志村けんさんは、芸能界の中で特に優しいと言われ、人望がありました。
売れない後輩芸人が娘の手術代に300万円ほどのお金をどうしても必要となったとき、貸して欲しいと頼んだ相手が志村けんさん。
すると、1,000万円を現金で渡して「出世払いで返してくれたらいいよ」と言ってくれたそうです。
実は「娘の手術」なんて真っ赤なウソだったことがバレて、謝罪に行きましたが「娘さん元気なの?良かった!」と、怒るどころか喜んでくれたといいます。
さらに、貸したお金はもうどうでもいいと、金は天下の回りものだからと伝えた志村さん。
嘘をついた後輩芸人は志村さんのカッコ良さと自分の惨めさに泣き崩れたということです。
また、東京・三鷹の自宅に泥棒が入り、1,000万円相当の金品と現金40万円を盗まれたことがありました。
その時も記者会見の場で、犯人に対し、「迷惑ではあるけれど、ちゃんと仕事をして金を稼ぐように」とコメントしたのです。
志村けんさんを見習って、人生をやり直したいと思う人はたくさんいるでしょう。
本当に惜しい人を亡くしたと悔やまれます。
長続きした付き人とは
志村けんさんには、乾き亭げそ太郎(かわきていげそたろう)さんという弟子がいました。
師匠の亡き後は、地元の鹿児島に戻り、タレントやレポーターとして活躍されているといいます。
2021年2月には、志村けんさんについての思い出を書いた『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』という本を出版しました。
【紙面キリトリ】志村けんさん 天才の裏側
昨年、急逝したタレントの志村けんさんの元付き人でタレントの乾き亭げそ太郎さんが、『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』を出版しました。(24日付文化面)#志村けん #乾き亭げそ太郎 pic.twitter.com/BuwpkXJYJb— 関西にこそニュースがある!! (@Sankei_OHC) March 24, 2021
元々積極的に弟子を取る人ではなかった志村けんさん。
超一流のコメディアンだった志村さんには乾き亭さんの前に何人か弟子はいたようです。
しかし、長続きしたのは、乾き亭さんと、直前の付き人である元ジョーダンズの山崎まさやさんだけのようです。
売れっ子の志村さんの付き人になって、休みは原則としてなかったといいます。
いつ呼ばれても良いように、心の準備をしていた乾き亭さん。
すぐに駆けつけることができるように、できるだけ志村さんの近くにいるよう心がけていたそうです。
苦手なことやエピソード
志村さんの一番近くにいた乾き亭げそ太郎さんは、志村さんには「苦手」なことがあったと語っています。
それは意外にも、「トーク」だったといいます。
あれほど「コント」が上手な志村けんさんが「トーク」を苦手としていたなんて信じられませんね。
だからバラエティ番組に出るのも、最初は渋っていたそうです。
ですが、そういう番組に出るならメイクをして何かのキャラになりきってならOKと妥協しました。
実際「さんまのまんま」にもバカ殿の衣装で出演されたのです。
そうしているうちにだんだんトーク番組にも慣れてきた志村さんは、最後の冠番組「天才!志村どうぶつ園」も見事に作り上げることができたのでしょう。
また、コントをするときも「ネタがマンネリ化するまでやり尽くすこと」をとても重要視されていたそうです。
若いころ、志村さんのコント「カラスなぜ鳴くの カラスの勝手でしょ」という替え歌が流行りました。
しかし、あまりにもやりすぎて、そのネタに飽きてしまった志村けんさん。
しばらく、ネタを封印していたら、視聴者からネタのリクエストが届いたそうです。
「子どもが、「カラス」のネタを見ないと寝ないって駄々をこねている」というものでした。
そこで志村けんさんは、自分が飽きてネタを止めるのではなく、そのネタをとことんやり尽くすことに決めたそうです。
時代が変わっても、志村さんのネタは変わらなかったのに、いつも面白くて新鮮でしたね。
また志村けんさんは、コントをする際、ネタ作り・構成・舞台セットも全て関わって作り上げたといいます。
一番忙しい時は寝る間もほとんどなかったのではないでしょうか。
関連記事
志村けんの家政婦・星野さん、結婚した旦那がイケメン?給料や同居の噂について
志村けん、愛車売却の理由。大悟がキャデラックを購入。ロールスロイスファントムの行方は?
志村けんと酒。お気に入りの焼酎の銘柄は?ハイボールの飲み方が話題
志村けん、そっくりな兄との絆。母親と共演。父親は交通事故により認知症
志村けんのファッション。帽子・メガネ・時計ブランドは?髪型の変遷
コメント