トークが楽しく、司会進行もお上手なうつみ宮土理さん。
うつみさんが出演する番組を見ると、いつでも元気いっぱいで、エネルギーを分けてもらえるように感じさせられます。
ただ、最近、テレビの露出が控えめなようで、現在どのようにしていらっしゃるのでしょうか。
また、韓国に留学されたことや若い頃の活躍、父親との思い出なども調べてみました。
うつみ宮土理のプロフィール
愛称:ケロンパ
本名:井川三重子(いかわみえこ)
生年月日:1942”N(昭和17年10)月1日
身長:156cm
出身地:東京都世田谷区
最終学歴:実践女子大学
所属事務所:愛川企画室
うつみ宮土理の現在
2015年にうつみ宮土理さんの夫・愛川欽也さんが享年80歳でこの世を去りました。
お二人はおしどり夫婦として知られるほど仲が良さそうに見えていたので、うつみさんの落ち込み、お察しします。
しかしその辛い気持ちを忘れさせるほど大変だったのが、遺産相続問題。
愛川欽也さんには前妻と2人のお子さんがおり、さらに愛人までいたようで、10億円以上とも言われる遺産で大揉めに揉めたのです。
もともと明るいうつみ宮土理さんは、次第に少し芸能界のお仕事をするようになりました。
ラジオ番組「うつみ宮土理のおしゃべりしましょ」で、平日毎朝5分という短い放送枠なのがちょうど良く、2週間ごとにまとめて収録しているようです。
その他にはは単発のお仕事をポツポツと入れているとのことです。
空いている時間はよく食べよく運動し、健康に気をつけているうつみさん。
大好きな韓国ドラマを見ながら韓国語を勉強するなど、1人の時間を楽しんでいるようです。
死亡説はデマでまだまだ元気
普通に芸能活動を続けているうつみさんですが、一部では「亡くなったはずでは?」と困惑する人もいるのだとか。
— 馬糞かと思ったらやっぱり馬糞だった (@Replicant_NS) April 19, 2015
もちろん、そんな噂はデマです。
インスタグラムを見ても、2023年現在、変わらず活動中であることがわかります。
死亡説が流れている理由は、愛川さんの訃報と混同していることが原因ではないでしょうか。
訃報が流れた当時は、妻であるうつみさんの名前も頻繁に出ていました。
そのため、記憶の中で情報が混ざってしまい、2015年の訃報をうつみさんのものと勘違いした可能性があります。
すっかり思い違いをしている人は、最近もラジオ番組が続いていることを知り、とても驚いているかもしれませんね。
インスタグラムがおいしそう
うつみさん、現在の様子を知るには、インスタグラムの写真もおすすめです。
仕事のことだけでなく、日常の食事の写真も多く紹介していますね。
こうした写真を見ていると、おいしいものをしっかり食べて、楽しく生活していることがわかります。
これからもまだまだ元気に活躍して欲しいものですね。
韓国留学をした理由
2003年に韓国ドラマ「冬のソナタ」で韓流ブームに一気に火がつき、主婦層を中心に多くの日本人が韓流のとりこになりました。
うつみ宮土理さんもその1人で、どんどん韓流にハマっていったそうです。
当時のお気に入りの韓流スターは、イケメンで演技も上手いチャン・ドンゴンさん。
そして、アンチエイジングに語学学習がとても良いということを知り、韓国留学を即決したのです。
2007年、当時65歳だったうつみさんは3ヶ月間の短期間でしたが、ソウルのキョンヒ大学語学堂に留学しました。
語学堂で学習するのは午前中で、その後の時間も家庭教師をつけて韓国語を勉強しました。
うつみさんは、大学で英文学を専攻しており、語学を取得するにはとにかく一気に集中する必要があることをご存知だったのでしょう。
韓国では語学だけではなく、韓国の文化も肌で感じ、多くのことを学んで帰国されたうつみ宮土理さん。
そこには、愛川欽也さんの後押しや励ましもあったといいます。
うつみ宮土里さんは帰国されてからも、「ゆるゆる韓国語講座」という動画を撮影するなど、留学で得たことを生かして活躍しています。
若い頃がかわいい
昔のうつみさんの話題では、「すごくかわいかった」という声もよくあるようです。
60年代の若い頃を見てみると、確かにとてもかわいいことがわかります。
うつみ宮土理さんの若い頃の写真、めちゃ可愛い
私こういうお顔好き~
あと、やっぱりこの年代(今60~70代)の人の若い頃の流行ってかっわいいよなぁ pic.twitter.com/VVQ3sYna52— もき+ (@moki_mokki) April 16, 2015
若い頃は、子供向け番組『ロンパールーム』の2代目お姉さんとして活躍していたうつみさん。
英字雑誌『ディス・イズ・ジャパン』の編集部にいた頃、取材のために面接会場へ行ったことが出演のきっかけでした。
ちなみに、『ロンパールーム』時代のことはYouTubeチャンネルでも振り返っています。
人気コーナー「お天気坊や」の再現は、ファンを懐かしい気持ちにさせていたようです。
うつみ宮土理の父親
うつみさんで検索すると、「父親」というキーワードが付随します。
お父さんは造園業を営んでおられたそうです。
宮土理さんは中学校から大学まで私立に通われていたので、裕福なご家庭だったと察します。
お父さんからの教えは、「植物もほめると美しい花を咲かせる。人間はもっと理解できるので、ほめてあげなさい」というものだったそうです。
うつみさんが『ロンパールーム』の先生役で子供達からも人気があったのは、その教えが伝わっていたこともあるかもしれません。
一方、「うつみ宮土理さん 父親」で検索すると、亡き夫・愛川欽也さんの出生のことが出てきます。
そちらについても少し触れてみることにしましょう。
愛川さんは以前に自伝的小説「泳ぎたくない川」を執筆されています。
本年読了通算176冊目は、
泳ぎたくない川
愛川欽也 著
文藝春秋 文庫この春亡くなられた愛川欽也さんの自伝小説です
母親のこと、小学校から高校そして俳優座養成所でのこと、養成所を出てからのことが書かれています pic.twitter.com/nxjWyXCUyN— Shimizu Yoshihisa (@PlutoPhoto) August 2, 2015
そこには戦争の体験が書かれているのですが、ご自身の生い立ちについても触れています。
愛川さんのお母さんは、子供ができたら当時付き合っていた男性と結婚できると信じて身籠りました。
そのお腹の中にいたのが、愛川欽也さんだったのです。
しかし、結婚できるというのはただの口約束で、次第に男の人はお母さんから離れて行きました。
その男の人、つまり愛川さんの父親は1946年に病気で亡くなってしまったそうです。
愛川さんはお父さんについてはこのような経緯がありましたが、お母さんの愛情をいっぱい受けて育って明るく幸せそうな方になったのでしょう。
うつみ宮土理さんのお父さんに関する話とは真逆のような内容ですね。
実家は世田谷区にある
父親が造園業を営んでいたのは、うつみさんの出身地である東京都世田谷区。
実家もそこにあるものと思われます。
うつみ宮土理さんは昭和18年生まれ、東京・世田谷区のご出身です。ご実家は造園業でした。
実家で暮らしていた少女時代のうつみさんは、とても内気な性格だったのだとか。
しかし、小学4年生の頃から少しずつ自我が芽生え、好奇心溢れる女の子に変わっていったそうです。
元気で楽しいイメージのあるうつみさんですが、最初から明るかったわけではないんですね。
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