原辰徳の嫁・松本明子との結婚は略奪婚?結婚式での王&長嶋の祝辞

原 辰徳(はら たつのり)さんはプライベートでも色々と注目を集めた人物です。

嫁さんは松本明子さんと言うらしく、結婚までの経緯も話題になっていました。

今回は原さんの結婚にまつわる話題についてチェックして行きましょう。

原辰徳のプロフィール

本名:原 辰徳 (はら たつのり)

身長:181cm

血液型:A型

出身地:神奈川県相模原市

生年月日:1958年7月22日

所属球団:読売ジャイアンツ(1981~95) ※選手時代

嫁・松本明子はホステスの噂はデマ

まずは原辰徳さんの嫁さんについて見て行きましょう。


嫁さんの名前は松本 明子(まつもと あきこ)さんと言いますが、恐らく多くの方が頭に思い浮かべたであろうタレントの松本明子さんではありません。

同姓同名なので間違えてしまう方も多いそうですが、タレントの松本明子さんは俳優の原田龍二さんの弟である本宮 泰風(もとみや やすかぜ)さんと結婚をしています。

明子さんは原さんよりも6歳年上の姉さん女房で、少し派手な顔立ちだったことから一部メディアでは「元ホステス」と報じられていましたが事実ではありません。

当時の野球選手は夜の世界でもブイブイ言わせていたヤンチャ集団だったことや、結婚相手にホステスやコンパニオンを選ぶことが多かった時代なので間違えられたのでしょう。

ただ、ホステスと間違われるのは美人の証拠でもあるので受け止め方が難しいかもしれません。

明子さんは結婚前から一般人として生活しており、結婚後もほとんど人前に出てこないタイプの女性なので近況などプライベートは明らかになっていないそうです。

原辰徳の結婚は略奪婚だった?

次は原辰徳さんと明子さんの結婚や略奪婚という物騒な噂について見て行きます。

ふたりが結婚をしたのは1986年11月のことで、当時の報道によれば「8年の愛を実らせて」という表現があったことを考えると交際開始は1978年頃(20歳)になるでしょう。

さらに詳しく調べると、明子さんは辰徳さんが東洋大学時代に仲良くなった他校の選手の姉ということが判明したので「8年の愛を実らせて」とも数字の辻褄が合います。

実はジャイアンツに入団した1年目のオフにプロポーズをしたそうですが、明子さんの両親だけでなく辰徳さんの父親であり師である貢(みつぐ)さんの猛反対によって破局。

さすがの辰徳さんも父親の意向には逆らえなかったので野球に専念することを決め、一方の明子さんも破局後に別の男性と交際して結婚をしています。


しかし、ふたりは1985年に再会して恋人関係になったことを明らかにしていますが、結婚をしていた明子さんが離婚して辰徳さんと結婚したことで「略奪婚」と言われていました。

もちろん二度目の交際が明らかになった時は離婚済みだったものの、辰徳さんは人生を振り返る企画で「人目を忍んで逢瀬を重ねた」と危うい表現をしていたそうです。

また、辰徳さんは明子さんが離婚したタイミングで親しい記者に交際を漏らしたそうですが、これは関係を既成事実化することで関係者の外堀を埋める作戦に出たのでしょう。

一連の流れを見る限り、辰徳さんは明子さんが人妻だった時も何らかの繋がりを持っており、のちに離婚したことで結婚に至っているので略奪婚と言えなくもないですね。

ふたりは家族の反対で結婚できなかったので少しは同情すべき点もあるでしょうが、一番気の毒なのは明子さんと結婚していた元旦那さんであることを明確に記しておきます。

結婚式で王&長嶋がしたスピーチが凄い

ここでは原辰徳さんの結婚式で王貞治さんと長嶋茂雄さんがしたスピーチを見て行きましょう。

1986年11月27日に都内のホテルで盛大な結婚式(披露宴)を開催し、野球関係者のみならず三浦友和さんと百恵さん夫妻など数多くの著名人が出席して大きなニュースになりました。

そんな晴れの舞台で王さんと長嶋さんがスピーチに立ちましたが、その内容は結婚をひたすら祝うだけでなく巨人の四番としての自覚を促す厳しめのエールだったのです。

ふたりともメディアや世間の声を引用している形で「巨人軍の4番としては物足りない」であるとか「期待の数字を超えられなかった」など手厳しい祝辞を述べていました。

結婚した1986年の成績は113試合に出場して打率(.283)の36本塁打で打点も80を記録しており、中でも本塁打は原さんの球歴において最高の数字だったのです。

それであっても一層の飛躍を求められるあたりが巨人軍の凄さと言えますが、期待に応えてくれると思われているからこそ厳しい言葉を送られているのも事実でしょう。


その後の選手人生が王さんや長嶋さんの期待に応えられるものだったかは分かりませんが、監督としては両者にひけを取らないほど巨人軍の栄光と発展に大きく貢献しています。

球史に残る王さんや長嶋さんと比較されるのは大変なプレッシャーだったでしょうが、そこからもたらされる緊張感が原さんの成長を促したのかもしれません。

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