石原裕次郎の家は成城。ハワイ別荘は観光名所。車は世界に一台、年収は?

昭和を代表するスーパースターの1人である石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さん。

これほど存在感のある俳優は二度と現れる事は無いかもしれません。

石原裕次郎のプロフィール

愛称: タフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージロー

本名:石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)

生年月日: 1934年年12月28日

身長:178cm

出身地:兵庫県神戸市須磨区

最終学歴:慶應義塾大学

所属事務所: 石原プロモーション元代表取締役社長

石原裕次郎の家は成城の大豪邸だった

死後、30年以上が過ぎた今も多くの人々に愛され続ける石原裕次郎さん。

日本芸能史における最後のスーパースターと言っても過言では無いかもしれません。

182cmと当時では桁外れの身長に端正な顔立ち。


しかも通っていたのは慶應義塾大学。

これだけの素質を持っていれば芸能界を志すのも当然と言えるかもしれません。

そんな石原裕次郎さんだけあって自宅を構えたのは高級住宅街として知られる世田谷区成城。

しかも敷地面積は約500坪と言われるまさに大豪邸。

多くの著名人が自宅を持つ成城ですが、この規模は圧倒的。

現在は1坪あたり約200万円と言われている事から敷地だけで約10億円もの価値がある事に。

もちろん建てられた自宅にも石原裕次郎さんのこだわりが。

手すりは自らの手のサイズに合わせて作られ、廊下には絵画を飾るコーナーが。

また、自宅にいながらヨットに乗っている気分が味わえる娯楽部屋や愛する妻の為に内緒で作ったというメイクルームまで。

きっとこの自宅で悠々自適の老後を過ごす事を夢見ていた事でしょう。

そんな夢の日々を過ごせなかった事は残念でなりません。

ハワイ別荘が観光名所に

今も昔も日本人に大人気な国と言えばハワイ。

多くの芸能人がハワイで年末年始を過ごす事が定番となっていますよね。

石原裕次郎さんもハワイが大好きだった一人。

かなり頻繁に訪れるためか別荘まで持っていたそうです。

別荘があったのはハワイの高級住宅街として知られるカハラの一等地。

オーシャンフロントの2階建てで広大なリビングとキッチン。

そしてビリヤード台と庭にはプールまで。

まさに「海外の別荘」という感じの別荘ですよね。

こんな素敵な別荘があればハワイに訪れたくなるのも納得。

きっと石原軍団の面々を招いてホームパーティーをする事も多かった事でしょう。

また、ドラマ「西部警察」のロケで使用された事もあったそうです。

石原裕次郎さんだけでなく石原軍団にとっても思い入れが深い別荘。

今ではハワイの観光スポットの1つなり、多くの観光客が訪れているそうです。

それだけ石原裕次郎さんには根強いファンが多いということ。

こんな所からも不世出の名優である事が分かりますよね。

愛車は世界に1台しかない限定車だった

石原裕次郎さんの愛車として有名なのが「ベンツ300Lガルウィング」。

第二次世界大戦後、ベンツが最初に開発したスポーツカーで生産台数は1400台のみ。

そのため石原裕次郎さんが乗っていた頃、日本にあったのは2台だけ。

ちなみにもう1台を所有していたのはプロレスラーの力道山さんだったそうです。

これだけで如何に貴重な車であるかが分かりますよね。

しかも石原裕次郎さんはメーカーに依頼してヘッドライトを縦長にカスタマイズ。

そのため世界に1台しかない超限定車なんです。

まさに稀代のスターに相応しいと言える1台。

石原裕次郎さんファンはもちろん、車好きなら喉から手が出るほど欲しい車である事は間違いないでしょう。


長らく石原軍団として活躍した舘ひろしさんもそんな1人。

何かにつけて「譲って欲しい」とお願いしていますが、その願いは未だ叶わず。

石原裕次郎さんを象徴する愛車だけに今後二度と他の人が乗る日は来ないかもしれませんね。

その他、石原裕次郎さんは「ロールスロイス シルバーシャドウII」と「日産 ガゼール」も愛車としていました。

しかも日産ガゼールはドラマ「西部警察」のために作られたオープンカー仕様の特注品。

特注品のため市販はされていません。

石原裕次郎さんはドラマの撮影で惚れ込んだ事から撮影終了後に譲ってもらったそうです。

これだけ愛着を持ってもらえれば製作者冥利に尽きるというもの。

「この車が似合うのは石原裕次郎さんだけ」と喜んで譲ってくれたことでしょうね。

気になるは年収どれくらい?

成城に大豪邸を建て、ハワイの高級住宅街にも別荘を持っていた石原裕次郎さん。

そして愛車にしていたのは世界に1台だけという超限定車。

日本を代表するスターなのでこのような暮らしも不思議ではありません。

ただ、そこで気になるのが年収。

一体どれくらいの年収があったからこのような生活が出来たのでしょうか。

そこで調べてみると意外な事実が判明しました。

分かった範囲になりますが、年によって年収にはかなりの差がありました。

最低は1972年の4675万円で最高が1980年の1億2451万円。

この金額だけ見るとトップスターの年収としては相当低く感じてしまいますよね。

ただ、当時と現在では貨幣価値などが異なります。

そこで大卒の初任給を一つの目安とすると、当時の大卒初任給は10万円〜14万円。

そして2022年の大卒初任給は約22万円。

つまり1.5〜2倍すると現在の金銭感覚と同程度となりそうです。

ですが、石原裕次郎さんの最高年収を2倍しても約2億5000万円。

現代のスターと比べても飛び抜けて高いとは言えませんよね。


ただ、芸能界やスポーツ界、一般社会でも年収の上限は右肩上がりで高くなってきています。

今やプロ野球の1億円プレーヤーも珍しくないですからね。

そう考えると現代に石原裕次郎さんがいたら桁外れの年収となっていた事でしょう。

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