吉田拓郎、天才の理由。髪型の変化。あいみょんを尊敬、井上陽水、小室哲哉との関係

吉田拓郎(よしだたくろう)さんは日本のポップス界の最重要人物とも言われる天才アーティストです。

今回はそんな吉田拓郎さんの髪型や、あいみょんさん・井上陽水(いのうえようすい)さん・小室哲哉(こむろてつや)さんとの関係についてまとめます。

吉田拓郎のプロフィール

本名:吉田拓郎

生年月日:1945年(昭和21年)4月5日

身長:176cm

出身地:鹿児島県伊佐市

最終学歴:広島修道大学

所属事務所:竹田企画

吉田拓郎、天才の所以、初めてづくめの音楽活動

吉田拓郎さんは天才だと言われるのにはいくつか理由があります。

当時は歌謡曲や演歌が隆盛、マイナーだったフォークソングをメインストリームへと導き、日本の音楽シーンを変化させたことが評価されています。


日本で初めてシンガーソングライターという存在を確立されたのも吉田さんだと言われています。

盟友である井上陽水もアンドレ・カンドレ名義で当時から活動していますが、最初に全国的な大ヒットさせたのは吉田拓郎さんです。

それまで難しい印象だったフォークソングの歌詞を分かりやすく表現し、一般大衆の心を掴んだのです。

しかし、コアなフォークソングファンは商業主義だと批判し、コンサートでは帰れコールを浴びせられたこともありました。

それでも、誰も寄せ付けないライブパフォーマンスで、観客をねじ伏せたと言います。

また、日本初の音楽フェスとも言われる「つま恋オールナイトコンサート」を主催。

まさに近代の日本ポピュラーの歴史を切り開いてきた存在といえるでしょう。

髪型の変化

吉田さんの若い頃の写真はロングヘアですが、ここ最近はバッサリ短くしているように感じます。

どのような心境の変化があったのでしょう。

1970年代は吉田拓郎さん全盛期で、真似をしたがる男の人が多かったようです。

髪の毛を長く伸ばして、ギターを弾くというのがスタイルでした。

その後、欧米のロック歌手のような、長めのカーリーヘアにイメチェンされました。

1990年「軽井沢音楽祭’90」で武田鉄矢(たけだてつや)さんのコンサートがあり、そこで吉田拓郎さんがゲストとして登場。

その時のトークで、髪をかっこよくかき上げる仕草をしたかったが、ロングのカーリーヘアではその仕草ができなかったそうです。

だからいっそ切ってしまえとさっぱりさせたとのことでした。

吉田拓郎さんがアーティストだと感じさせる発言ですね。

吉田拓郎とあいみょんはお互いを尊敬

実は吉田拓郎さんとあいみょんさんは、歌風が似ていると言われています。

確かに声の伸ばし方から、曲調、歌詞もどことなく似ていますね。

吉田拓郎さんは、ご自身のラジオ番組「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」で、あいみょんさんをベタ褒めしています。

特にあいみょんさんの楽曲「愛を伝えたいだとか」の歌詞で、自分にはとても書けないと言っていたセリフがあります。

日本のポップスの大御所から太鼓判を押されてあいみょんさんは喜びのツイートをしました。

実はあいみょんさん自身も吉田拓郎さんをリスペクトしているそうなのです。

新旧の実力派歌手がお互いを尊敬しあっているのは素晴らしいこと。

あいみょんさんは、クレヨンしんちゃんの映画で使用された「今日までそして明日から」という曲に影響を受けたと言います。

それからお父さんの部屋にこもって吉田拓郎さんのCDを聴くようになりました。

吉田拓郎さんの2016年のコンサート「LIVE2016」にも行ったほど好きなようです。

井上陽水とは酒を飲む仲

「陽の拓郎と陰の陽水」というキャッチフレーズが20世紀後半の歌謡界に存在しました。

吉田拓郎さんと井上陽水さんのことを指しているわけですが。どういうことなのでしょうか。

それは、2人のライブアルバムを聞けば一発で理解できるようです。

吉田さんのライブは、楽しいMC有り、女の子のファンが多くいて、観客も楽しく笑っているものでした。

それに比べると、当時の井上さんのライブは、よく聞き取れない程のか細い声でのMCで、静かなイメージでした。


そこから名付けられたキャッチフレーズだったのではないでしょうか。

その後の井上陽水さんのイメージといえば、一風変わった歌詞の歌が多いけれど、「少年時代」のような名曲もある感じですよね。

井上陽水さんに、あまり静かなイメージはありませんね。

2人が出会った1970年代初頭は、共通の趣味はあまりなかったようで、仲が良いわけでも悪いわけでもなかったそうです。

しかし、年月が経つごとに仲良くなっていったようで、特に共通の趣味である「スポーツと将棋」を通してグンと近づいたと言います。

そして、一緒にお酒を飲む仲にまで発展した吉田拓郎さんと井上陽水さん。

生き残るのが厳しい音楽業界で長年に渡って活躍するお二人の会話ってどのようなものなのか、気になりますね。

小室哲哉との関係

小室哲哉さんは1980年代にTM NETWORK(ティーエム ネットワーク)で人気を集めた後、1990年代の音楽を「一人勝ち」したようなプロデューサーでした。

篠原涼子(しのはらりょうこ)、trf(ティーアールエフ)、華原朋美(かはらともみ)、globe()など、数々のアーティストをミリオンヒットさせた「天才」。

そんな小室さんが嫉妬した人物は吉田拓郎さんと坂本龍一(さかもとりゅういち)さんなのだそうです。

吉田さんに対しては、「「旅の宿」を聴き、何て上手に日本語をメロディーに乗せられる人なんだろうと思った」という小室さん。

「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント」は、吉田拓郎さんの世界観に挑んで作った作品だと言います。

小室さんが全盛期の時に吉田拓郎さんと共演しトークした際、「小室さんの曲が理解できない」「わがままでしょう?」と言われて落ち込んだそうです。

しかし、次に会った時は、何も言わずに小室さんをハグした吉田拓郎さん。

その頃小室ブームは過ぎ去り、辛い思いをしていたことを察したのかもしれませんね。

またお互い分かり合えてるよ、同士だよ、という思いが込められていたのかもしれません。

吉田拓郎さんは同世代のアーティストも、遥かに年下のアーティストにも、真っ直ぐに向き合っている方だということが伺えます。


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