太田裕美は実家は寿司屋。性格は男勝り、若い頃の苦労。筒美京平との関係

歌謡曲とニューミュージックの垣根を超えた新しいタイプのシンガーとして、日本のポップス界に新風を吹き込んだ太田裕美(おおたひろみ)さん。

実家はお寿司屋さんとも町工場ともいわれていますが、どちらが本当なのでしょうか。

ルックスや歌から受ける印象のせいか、おしとやかと思われることが多いそうですが、じつは意外な性格だったようです。

アイドル歌手とアーティストという二つのポジションをかけ持ちした若い頃の苦労や、筒美京平さんと松本隆さんの黄金コンビによる数々の名曲も振り返ります。

太田裕美のプロフィール

愛称:太田さん、裕美さん

本名:太田弘美

生年月日:1955年1月20日

身長:154cm

出身地:東京都荒川区

最終学歴:上野学園高等学校

所属事務所:ボイスアンドリズム

太田裕美の実家は寿司屋と工場を経営していた

ニューミュージックが歌謡界を席巻していく勢いに乗って、その歌唱力を活かして多くのヒット曲を歌い上げてきた太田裕美さん。

実家については寿司屋という噂と工場という噂があり、情報が錯綜していますが、結論をいうとどちらも正しいようです。

太田裕美さんは東京都荒川区生まれの埼玉県春日部市育ち。


ご本人の話によると、父・弘さんは包装資材をつくる町工場を東京で営んでおり、裕美さんが3歳の時に事業拡大のため一家で春日部市へ転居。

春日部の実家は敷地内に工場が併設されており、住み込みの従業員もいて、にぎやかな少女時代を過ごしたそうです。

ちなみに、本名の「弘美」は父の名前にちなんだもの。

一方、母はお嬢様タイプでしたが、とても働き者。

3人の子供を育てながら家業を手伝い、さらには寿司屋もはじめました。

父の本業は工場経営者で、寿司屋を切り盛りしていたのは母のようですね。

かつて太田裕美さんは、『8時だョ! 全員集合』で実家の寿司屋の宣伝をしては、いかりや長介さんにツッコまれていたのだそう。

地元の方によると、お店は「大寿司」といい、すでに閉店してしまったとのことです。

太田裕美は意外にも男性的な性格

会ったことがない人には、いかにも少女らしい、おとなしいイメージを抱かれることが多いという太田裕美さん。

ですが、親交のある人たちの証言をみていくと、意外にも竹を割ったような男性的な性格であることがうかがえます。

「しゃべる時はフニャフニャしてるけど、性格は男」と評するのは岩崎宏美さん。

「可愛い口調で鋭い指摘をする人」と尾崎亜美さん。

「色気のないノンフェロモン系」と自己分析するのはご本人。

太田裕美さんは2002年にNHKの『さくら』で主人公の明るい母親役を演じていますが、このキャラクターが自分の素にかなり近いと述べています。

共通する部分は単純なところ、後先考えずに突っ走ってしまうところ、そそっかしいところなのだそう。

その一方で、愛想笑いができず、人見知りする性格でもあることから、内向的な一面もあるようです。

自分の中に両極端な一面があって、それらがケースバイケースで出てくるのだそう。

芸能界に飛び込んだ時や、ニューヨークでアパートを借りて8か月一人暮らしをした時などは、おそらく自分の中の男性的な部分が後押ししたのでしょう。

若い頃は歌謡曲とフォーク系の中間的な歌手だった

ソロ歌手としてのデビューは、1974年11月の『雨だれ』でした。

サ行とラ行の発音が苦手というだけあって、少し舌足らずな歌い方と可愛い声、大きな瞳の愛らしいヴィジュアルが注目を集めます。

若い頃の太田裕美さんは、今のAKB48や乃木坂46のメンバーでも違和感がないほどアイドル的要素が満載でした。

ですが、彼女は単なるアイドルとは一線を画し、デビュー初期はピアノの弾き語りによって歌謡曲とフォークの中間的な路線を貫きます。

当時の太田裕美さんを見て、アイドルのわりにはピアノを弾いているし、作曲もするということで、不思議に思った人がいるかもしれません。

アイドルの仕事とフォーク系の仕事の両方をこなすということは、二人分の歌手の仕事をするのと同じこと。

それこそ寝る暇もないほどに多忙を極めたそうです。


従来のアイドルのようにチャラチャラした印象はなく、またフォーク系シンガーのようにとっつきにくさもなかった太田裕美さん。

そんなキャラクターは新曲をリリースするたびにファンを獲得していくことになります。

ヒットメーカー・筒美京平&松本隆による楽曲提供

2020年10月7日、筒美京平さんが80歳でこの世を去りました。

デビュー曲『雨だれ』にはじまって、私ほど筒美先生から多くの名曲を贈られた歌手はいないと哀悼の意を表した太田裕美さん。

裕美さんの代名詞ともいえる『木綿のハンカチーフ』は、松本隆&筒美京平コンビによる4枚目のシングルでした。

それまでの弾き語りスタイルとは違う、新たな方向性が誕生した曲でもあります。

リリースが1975年12月ですから、なんと46年前の曲。

いまだにカラオケで人気が高いことに驚きますね。

ディレクターとしてデビュー当時から制作に携わった白川隆三さんによると、筒美京平さんはデビュー曲から太田裕美さんの歌唱の特徴をよくつかんでおり、地声から裏声に変わるところに曲のピークを合わせているとのこと。

デビュー曲からそれができるというのは、考えてみるとすごいですね。

松本隆&筒美京平コンビによる楽曲提供は『赤いハイヒール』や『九月の雨』へと続いていきます。

2019年には歌手活動45周年の記念として、筒美京平さんに新曲をお願いしたという太田裕美さん。


「これからは自分で書きなさい」とエールを贈られたといいます。

乳がんを告知され、一時は歌手人生が危うくなったこともありましたが、順調な回復ぶりにファンはほっとしたことでしょう。

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