自民党の衆議院議員であり、防衛大臣や外務大臣を務めてきた河野太郎(こうの たろう)さん。
自民党の議員の中でも英語力が高いと評判ですが、どれほどの英語力を持っているのか調査しました。
さらに英語の勉強法とスピーチの巧みさを確認します。
併せて富士ゼロックス時代に携わっていた業務の内容も見ていきましょう。
河野太郎のプロフィール
本名:河野太郎
生年月日:1963年1月10日
身長:173cm
出身地:神奈川県平塚市
最終学歴:ジョージタウン大学国際学部比較政治学科
河野太郎は留学経験があり英語力は高い
河野さんは1981年に慶應義塾大学経済学部へ進学しましたが、わずか2か月で退学します。
元々アメリカ留学に憧れていたため、渡米してマサチューセッツ州でサマースクールに通いました。
いきなり現地の大学に進学するのはハードルが高いため、サマースクールの短期プログラムで英語を学んだのです。
その後はコネチカット州の全寮制高校サフィールドアカデミーで1年間修学。
1982年にワシントンD.C.のジョージタウン大学へ進学し、比較政治学を学びました。
1985年に学士の学位「B.A. in Government」を手に入れ、ジョージタウン大学を卒業しています。
アメリカの大学で学位を取ったということは、英会話はもちろん、英語で講義を聴きレポートを書くスキルもあるということですね。
また大学在学中の1983年には、大統領選挙の候補者のアラン・クランストン上院議員の選挙対策本部でボランティアに従事しています。
難解な政治用語もしっかり理解していなければ、選挙関連のボランティアに参加することは不可能ですよね。
実際に英語を話している動画を見ても、ネイティブと変わらない発音で、政治用語もよどみなく口にしています。
河野さんはアルファベットのつなぎ目も滑らかに発音しており、音源だけ聴いているとアメリカ人が話しているようにさえ思えます。
英語が話せる人でも発音まで完璧な人はなかなかいません。
河野さんは英語が上手い日本人の中でも、トップレベルの実力の持ち主なのです。
河野太郎の英語勉強法
河野さんは元々英語が上手く話せず、苦戦した時期があったそうです。
アメリカ留学後、高校で英語が通じず大変だったといいます。
敷地が広すぎて食堂の位置が分からず、質問してもなかなか通じません。
食堂の場所を知りたいということがようやく伝わっても、結局相手の言葉が聴き取れず、初日はご飯を食べられませんでした。
オルブライト元国務長官の元で英語を特訓
ジョージタウン大学入学後は、いきなり十数人で議論をする課題が出されます。
まだ上手く英語を話せなかった河野さんは、当時の先生から「やる気がない」と言われてしまいました。
そのため次の授業からは、下手でも構わず、とにかく英語を話し続けたそうです。
このときの先生が1997年に国務長官となった、マデレーン・オルブライトさんでした。
2017年に河野さんは恩師と再会して懇談しています。
オルブライトさんも立派に成長した河野さんを見て、感無量だったことでしょう。
英語を話せるようになるコツは、下手でも気にせず、とにかく喋ることだと分かりましたね。
河野太郎のおすすめの英語勉強方法は海外ドラマ視聴
河野さんはおすすめの英語勉強法について、海外ドラマを観ることだと言っています。
おすすめのドラマは80年代のホームドラマ『ファミリータイズ』。ホームドラマでは日常会話をたくさん学べそうですね。
ポイントは同じ話を3回観ること。
最初に意味が分からなくても、字幕なしで観ます。次に字幕を付けて観て、最後にもう1度字幕なしで観ると、意味が分かるようになっているとのこと。
30分のドラマを3回観るだけなら、1時間30分で効率的に楽しく勉強できますね。
ぜひ今から実践してみてください。
河野太郎はスピーチの名人
河野さんは日本語でもスピーチが上手ですが、英語でも見事な話術を披露してきました。
英語でジョークを披露して会場の爆笑を誘ったこともあります。
2020年に防衛大臣として、ワシントンでの「戦略国際問題研究所」でスピーチをしていました。
このとき「今は防衛大臣としてここにいるが、来年は総理大臣としてここにいる」とジョークを飛ばしています。
残念ながら2021年の総裁選で敗れてしまい、ジョークは実現しませんでした。
それでも今後も抜群のユーモアのセンスを活かして、見事なスピーチを披露してくれることでしょうね。
河野太郎は富士ゼロックスでシンガポールに赴任
河野さんはジョージタウン大学を卒業後、富士ゼロックスに入社。
ネットワークとマルチメディア技術を駆使して、いち早く在宅勤務を行ったそうです。
新型コロナウイルス感染症流行後も、テレワーク促進派の議員として、大臣室を不在にすることが多かったとのこと。
河野さんがテレワークを推奨してきたのは、元々情報技術分野に造詣が深かったためなのですね。
1991年2月には富士ゼロックスのアジアパシフィック設立と同時に、シンガポール赴任を命じられました。
シンガポールの公用語の1つが、シンガポール特有の英語「シングリッシュ」です。
河野さんは英語が堪能なため、多少文法が異なるものの、英語でのやり取りが可能なシンガポール赴任を命じられたのでしょう。
さすがシンガポール外務省、Kono Taroと表記してくれてる。ありがとう。 https://t.co/24fZ8qoo77
— 河野太郎 (@konotarogomame) December 27, 2020
シンガポールでは東南アジアに向けた商品企画と新商品の導入に従事しました。
コツコツ在宅勤務をすることが得意でありながら、海外で華々しく活躍することもできる、かなり振り幅の広い人材と言えますね。
今後も情報スキルと英語スキルを活かして、日本のために更なる活躍を見せてくれるに違いありません。
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