河野太郎さんの父として知られる河野洋平(こうのようへい)さん。
政界を引退して10年以上が経った今も忙しくしているようです。
ただ、河野洋平さんは中国支持派として知られるため河野太郎さんは父との違いをアピールする事に躍起。
親子間で肝臓移植を行った事も大きな話題となりました。
河野太郎のプロフィール
本名:河野太郎
生年月日:1963年1月10日
身長:173cm
出身地:神奈川県平塚市
最終学歴:ジョージタウン大学国際学部比較政治学科
河野太郎の父、洋平は現在も多忙だった
2021年10月に行われた「好きな政治家」アンケートで1位に輝いた河野太郎さん。
同年9月に自民党総裁選では惜敗してしまいましたが、総理になるのも時間の問題。
「河野太郎内閣」の誕生を心待ちにする国民も多い事でしょう。
その河野太郎さんの父と言えば誰もが知る河野洋平さん。
自民党総裁や外務大臣、衆議院議長、副総理などの要職を歴任。
今に続く自民党の礎を築いた名政治家です。
1999年には河野グループと呼ばれる「大勇会」を旗揚げ。
人望が厚く、多くの政治家に慕われていた事が分かります。
2009年7月21日の衆議院解散をもって政界から引退。
前年に開催されたG8下院議長会議の議長という念願を果たせたこと、体調が万全ではないことが引退の理由と明かしています。
衆議院議員を14期に渡って務めるなど長きに渡って日本の為に尽力した河野洋平さん。
2023年で政界引退から14年となりますが、現在はどうしているのでしょうか。
心身をすり減らす毎日だった政治家時代。
引退後は穏やかな老後を過ごしていると思いますよね。
ところが河野洋平さんは引退後も隠居はしていません。
母校である早稲田大学で講義を行い、政治や新たな物事の勉強のため国会図書館にも足を運んでいるそうです。
河野太郎さんが自民党総裁選に出馬した際には元参議院議員会長の元を訪れるなど支持拡大のために奔走していました。
どうやら河野洋平さんが穏やかな日々を送れるのはまだまだ先になりそう。
むしろ「一生現役」として亡くなる直前まで忙しくしているのかもしれません。
河野洋平は熱烈な中国支持派として有名
ウイグル自治区の人権侵害や台湾への威嚇。
尖閣諸島や南シナ海での不正な活動により諸外国が危機感を募らせる対中問題。
中国に良くない印象を抱いている日本人は約9割というアンケート結果も。
選挙の時に対中政策を重視する有権者も少なくありません。
そのため多くの政治家が対中政策について慎重な姿勢を見せています。
そんな中、熱烈な中国支持派として有名なのが河野洋平さん。
「中国の嫌がることばかり」、「日本は被害者だが加害者でもある。中国に対する外交を真剣に考えて欲しい」など中国寄りの発言をする事も少なくありません。
2021年7月1日の中国共産党建党百年祝賀でも祝電を送っています。
外務大臣を務めていた頃には台湾の前総統訪日について中国が講義した事でビザの交付に反対。
強い反対の意志を示すため、自らの外務大臣辞任まで仄めかしていました。
また、会議に参加するためタイに向かう途中で飛行機の不良により台湾に緊急着陸ときのこと。
その後、対面した中国の外務大臣に「台湾の空港で一歩も外に出なかった」と発言した事もありました。
これは中国と台湾の関係が必ずしも良好でない事を考慮しての行動。
世界でも指折りの親日派として知られる台湾。
その台湾よりも中国を重要視している事が分かりますよね。
河野洋平さんに強く影響を受けているのか河野太郎さんも中国に対しては融和的。
中国も河野太郎さんには好意的との情報もありました。
この対中政策の不安を払拭できるかどうか。
河野太郎さんが総理になるには避けては通れない道と言えるでしょう。
河野太郎が河野洋平との違いをアピール
2017年にかつて父が務めた外務大臣に就任した河野太郎さん。
新旧大臣の交代式では最初に「人間性も考え方も全く違う」と父との違いをアピール。
昨今の国内状況では中国支持派は支持を得る事は難しい事は明らか。
そのため熱烈な親中派の父とは違うという事をまずアピールしたのでしょう。
ですが、河野太郎さんは強く対中派の姿勢を取る事は難しいでしょう。
その最大の要因が弟である河野二郎さんが社長を務める日本端子株式会社の存在。
同社は国内に複数の拠点を持つだけでなく、中国にも3つの子会社を保有。
また、河野洋平さんが約30%の株式を保有する大株主となっています。
もし強い対中の姿勢を取れば中国の子会社にも影響を与えるでしょう。
そして日本端子の経営にも支障をきたす恐れがあります。
諸外国に強気の姿勢を見せる河野太郎さんが中国には融和的な姿勢なのも恐らくそのため。
この問題を何とかしなければ国民と政治家の支持を集める事は難しいと言えるかもしれません。
河野太郎が父の肝臓移植のドナーに
1976年から肝機能障害に悩まされていた河野洋平さん。
その後、C型肝炎と判明すると肝硬変に近い状態まで悪化。
インターフェロンによる治療を行うも病状は改善せず。
2000年には黄疸が出て肝性脳症により意識障害が生じる事も。
いつ肝臓癌となっても不思議ではないというかなり危険な状況でした。
そこで最後の手段となったのが生体肝移植。
河野太郎さんが「長男が責任を持つのが自然」と自らドナーになる事を決断したそうです。
ですが、息子の肝臓を貰ってまで生き延びる事に抵抗を感じた河野洋平さんは肝臓移植を拒否。
それでも食い下がらない河野太郎さんとの間で延々と口論が続いたんだとか。
最後は河野太郎さんの熱意に負け、生体肝移植を受ける事に。
無事に手術は終了し、九死に一生を得る事が出来ました。
息子のおかげで生き延びる事が出来たといっても過言ではありません。
河野洋平さんが今も息子のために奔走するのはこの時の恩を返すためなのでしょうね。
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