河野太郎の自宅は平塚。湘南ベルマーレの会長だった過去、出身大学はアメリカの名門

河野 太郎(こうの たろう)さんは湘南ベルマーレの会長を務めていた過去があるだけでなく、日本の大学を中退して海外の大学を卒業するなど話題性に事欠きません。

今回は河野さんの自宅や湘南ベルマーレとの関係、出身大学について見ていきましょう。

河野太郎のプロフィール

本名:河野 太郎 (こうの たろう)

出身地:神奈川県平塚市

生年月日:1963年1月10日

最終学歴:ジョージタウン大学卒業

主な役職:外務大臣 / 防衛大臣 / ワクチン接種推進担当大臣

河野太郎の自宅は平塚市の分譲マンション?

祖父・父と二代続けて副総理を輩出した名門なので自宅もさぞ豪華と思ったので調べると、河野太郎さんの自宅は神奈川県平塚市八重咲町にあるコンクリート作りの建物でした。

この土地は「河野太郎事務所」として登録をされていますが、総務省が公開している「政治資金収支報告書」の住所欄には”神奈川県平塚市八重咲町26−8″とあります。

※総務省「政治資金収支報告書」令和2年11月27日公表(令和元年分) リンク「https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SS20201127/000050_02.pdf」


また、2017年分の政治資金収支報告書には”神奈川県平塚市八重咲町26−19 ブルーハイツ高風荘205号”と掲載されていたので引っ越した可能性もあるでしょう。

※総務省「政治資金収支報告書」平成30年11月30日公表(平成29年分) リンク「https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/SS20181130/0000501346_01.pdf」

報告書によって自宅住所は判明しましたが、関連場所を空から見ると面白いことが分かります。

引っ越し先の隣には父・洋平さんの事務所があり、その後ろには弟の二郎さんが社長を務めるコネクタ・端子の製造会社「日本端子」の本社ビルを確認することができます。

よく見ると以前に住んでいたブルーハイツ高風荘もすぐ隣にあるので、もしかすると洋平さんや二郎さんが所有している土地に引っ越したという可能性もあるでしょう。

さらに日本端子について調べると、本社が神奈川県の大磯町から平塚に移転したのが2017年8月、太郎さんが分譲マンションから2023年現在の土地に移ったのもほぼ同時期。

また、太郎さん自身も1993年から約9年ほど日本端子の取締役だったという経歴があります。

自民党の総裁選挙中には日本端子や関連会社からの献金が話題になりましたが、太郎さんよると法に則って適正に処理をしているので問題は無いとのことでした。

しかしながら、火の無いところでも放火をして騒ぐのが政治家の世界なので、少しでも疑わしいことからは離れるようにしないと総理の座は遠くなる一方でしょう。

河野太郎は過去に湘南ベルマーレの会長をしていた

政治家が在任中に他の仕事を兼任するのは珍しくないですが、河野太郎さんは平塚市を本拠地とするプロサッカーチーム「湘南ベルマーレ」の会長を務めていた時期があったそうです。

同クラブの会長に就任したのは政治家1年生だった1999年のことで、経営だけでなく戦績までもが低迷していた同チームの再建を託されるという大役を任されました。

経営の指揮を執ったのは小泉内閣で総務大臣政務官に就任する2002年1月までなので約2年ほどでしたが、クラブの経営がどれぼと改善したかまでは確認できていません。


しかし、2023年現在もチームは存続しているので一定の功績はあったのでしょう。

取締役会長を退任後も個人として応援しており、ピッチに訪れている姿も目撃されています。

ちなみに、河野さんは小学生の頃にボーイスカウトを経験し、慶應中学と同高校在学中は競走部に所属してキャプテンを務めるという体育会系の顔も持っていました。

また、祖父の一郎さんと大叔父(一郎さんの弟)謙三さんは早稲田大学で箱根駅伝に出場をして区間新記録を出し、父の洋平さんもマネージャーとして大会に参加をしています。

一族ともに見た目はインドアに見えますが、意外にも体育会系一族だったことが分かりました。

河野太郎の出身大学はアメリカの有名校

最後に河野太郎さんの意外な出身大学について見ておきましょう。

政治家の中には日本の有名大学を卒業してアメリカやイギリスの大学へ進む人がいますが、河野さんは入学した慶応義塾大学(経済学部)を約2ヶ月で退学しています。

中退した翌年の1982年9月にアメリカの「ジョージタウン大学(比較政治学)」へ入学し、在学中にはポーランド中央計画統計大学(現・ワルシャワ経済大学)にも留学。

また、アメリカのシェルビー下院議員の議会事務所でインターン経験もしています。

河野さんが大学を中退した理由は諸説ありますが、政治家として活動するのであれば英語でコミュニケーションをとれることが大事という点が大きいでしょう。

ジョージタウン大学やインターン経験により英語力は政界でも屈指のレベルになりました。

もう一つの理由は小さい頃からの夢だった箱根駅伝に出られないから中退したという驚きのものでしたが、慶應大学が弱いのは入学前から分かるはずなのでジョークでしょうね。


ちなみに、現在(2023)も慶應義塾中等部の運動会(4,000m)の記録保持者は河野さんだそうです。

まとめると、河野さんは政界での言動だけでなく出身大学も中々の異端児と言えるものでした。

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