「ブルースの女王」と呼ばれた天才歌手の淡谷のり子(あわや のりこ)さん。
豪邸として知られていた自宅は今も存在しているのか調査しました。
また若い頃が美人だったという情報、美空ひばりさんとの不仲説を確認。
併せて、特攻隊慰問時にアイシャドウを施したところ、叱責されたというエピソードを紹介します。
淡谷のり子のプロフィール
愛称:ブルースの女王
本名:淡谷のり子
生年月日:1907年8月12日
死没:1999年9月22日
身長:150cm
出身地:青森県青森市
最終学歴:東洋音楽学校ピアノ科(現在の東京音楽大学)
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淡谷のり子の自宅は解体済み
淡谷さんの自宅は豪邸であり、近隣住民の注目の的だったようです。
場所は東京都大田区にある閑静な住宅街でした。
現存しているのか確認したところ、すでに解体されており、別の建物に人が住んでいるそうです。
淡谷さんは若手歌手を「歌手じゃなくてカス」と評するなど、歯に衣着せぬ物言いで敵が多かったといいます。
一方、自宅に客人を招くと、紅茶やコーヒー、クッキーやケーキなどを振る舞ってくれる優しい人だったそうです。
自宅ではゆったりとくつろぎながら、客人と楽しい時間を過ごして、一息ついていた様子。
現場で見せる歯に衣着せぬ物言いは、厳しい世界を1人生き抜くための術であり、決して性根が悪い人だったのではないのでしょう。
淡谷のり子の若い頃は美人
淡谷さんは若い頃にクラシックを学んだ後、生活のために声楽家ではなく、商業的な流行歌手の道を選びました。
音楽の基本が身に付いていたため、若くして実力を発揮し、30歳で『別れのブルース』によりスターとなります。
若い頃の彼女は、クールな色気を湛えた美人でした。
若い頃の淡谷のり子の写真、めちゃめちゃいい。
写真は高梨豊か平地勲らしい。
78年のアサヒカメラの特集からだと思う。https://t.co/XejZ5ErX6Y pic.twitter.com/sTPEuRxx1Y— lEjEwO (@lejewo) September 20, 2020
晩年の姿しか知らない人は、若い頃の姿を見れば、思わず驚くと同時に心をつかまれるはずです。
若い頃は淡谷のり子の名前もなかなか覚えられなかった
モノマネ王座の怖いオバチャンとしか覚えてなかったなあ… この人しかし個性ホント立ってますよねえ pic.twitter.com/zWer6AQp5R— 店主 (@segavandamme) May 11, 2021
若い頃の淡谷のり子かわいい pic.twitter.com/z4CtdoWnyj
— 渚カツヲ(最後の石幾 里予) (@qtgh) November 7, 2017
美しく実力も高い淡谷さんの魅力に、より多くの現代の若者に気付いてもらいたいですね。
淡谷のり子が美空ひばりを酷評した真意
淡谷さんは後輩歌手に対して、厳しい物言いをすることで知られていました。
昭和を代表する偉大な歌手・美空ひばりさんも例外ではありませんでした。
生前、「ひばりのことは大嫌い」と語っています。
理由は淡谷さんのアルゼンチンタンゴのステージで、共演者のひばりさんが人気歌手の笠木シヅ子さんの物真似をしたため。
「人の物真似をして、私のステージをめちゃくちゃにした」と憤慨しました。
そのためか、ネット上では2人が不仲であるという説も流れています。
しかし淡谷さんは、実はこのとき、身なりが汚いひばりさんを楽屋のお風呂に入れてあげたそうです。
厳しく接していたのは、あくまでも後輩を思いやってのことだったのではないでしょうか。
後輩歌手が現状に満足せず、たゆまぬ精進を続けられるよう、あえて酷評するようにしていたように思えませんか。
そうでなければ、後輩をお風呂に入れてあげることはないでしょう。
このとき2人は一緒にお風呂に入ったといいます。
しかし後年、大スターとなったひばりさんは、「そんな記憶はない」と発言。
淡谷さんとしては不愉快だったに違いありません。
ひばりさんが本当に覚えていなかったのか、淡谷さんに対抗心を燃やしてわざと喧嘩を売ったのかは不明です。
ただ少なくとも、2人がお互いの実力を認め合い、常に意識し合いながら活動していたことは事実でしょう。
特攻隊慰問時にアイシャドウで叱責される
淡谷さんは太平洋戦争中、軍の慰問歌手として活動していました。
まともな服が手に入りにくくなっていた時代、ロングドレスをまとい、アイシャドウとつけまつげを施して歌っていたそうです。
憲兵隊からは「アイシャドウが時局的に不謹慎だ」として呼び出されています。
これに対して淡谷さんは「私のようなブスが素顔でステージに立ったら、どうなるというの」と応じました。
結果的に50枚近く始末書を書かされたそうです。
軍はモンペ姿にノーメイクで歌うように強要しました。
それでも淡谷さんは、わずかな時間だけでも兵士たちに楽しんでもらえるよう、ドレスとメイクを手放しませんでした。
特攻隊の慰問に行った際のエピソードは、生前「徹子の部屋」へ出演したときに語っていました。
白い鉢巻をした16歳ぐらいの少年兵たち20~30人ほどを前に歌うことになったそうです。
しかし彼らは命令が来れば、コンサートの途中でも出撃し、二度と戻って来ないと決まっていました。
淡谷さんは「命令が来なければいい」と願いながら歌いましたが、コンサート中に命令は下されてしまいます。
すると少年兵たちは立ち上がり、淡谷さんを見て笑いながら敬礼し、順番に部屋を去って行きました。
淡谷さんがステージ上で涙を流したのは、このときが最初で最後だったとされています。
長い歌手人生の中で、淡谷さんは特攻隊の少年兵たちの姿を思い浮かべながら、心を込めて歌い続けていたのですね。
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