石田靖、同期と格差?若い頃の夢が新喜劇へ。山田花子、辻本茂雄との関係とは

芸歴を重ねた今も舞台を大切にする石田靖(いしだやすし)さん。

舞台に思い入れを持つのは若い頃の夢が新喜劇で役だった事も無関係ではないのかもしれません。

ただ、その事で同期に水をあけられたという声も。

山田花子さんとの結婚の噂や辻本茂雄さんとの関係についてもご紹介します。

石田靖は同期に差を付けられた?

長きに渡り「頼れるアニキ」として新喜劇を支える石田靖さん。

1986年にオーディションで吉本興業に入社し、翌年にデビュー。

2021年時点で芸歴が34年になるという大ベテラン。

若手から「師匠」と呼ばれていても全く不思議ではありません。


同期も恵俊彰さんや勝俣州和さん、浅草キッドさんにぜんじろうさんなど錚々たる面々。

また、若干のズレはありますが今田耕司さんや東野幸治さんも「ほぼ同期」。

かつてダウンタウンさんの後を継ぎ「3ばか大将」としてバラエティ番組「4時ですよーだ」のMCを務めていた事もありました。

それだけ吉本興業から期待される存在だったという証拠でしょう。

ただ、同期の面々と比べると石田靖さんの活躍は少し物足りない感じがしてしまいますよね。

同期の多くが全国ネットで活躍する中、石田靖さんがレギュラー出演するのは関西圏の番組ばかり。

関西と関東では知名度にも大きな差が出る事は間違いないでしょう。

やはり全国的な知名度を得るためには東京進出は避けられない道。

「3ばか大将」として共に活動した今田耕司さん、東野幸治さんが今の地位を築けたのも東京に進出したおかげ。

ですが、石田靖さんが選んだのは東京進出ではなく大阪、そして新喜劇。

大勢の生のお客さんに笑いを届ける事が何よりも好きなのでしょう。

「ルミネtheよしもと」が出来た事で東京で活動するようになった事からも舞台にかける愛情が分かります。

また、年に1度、自らが座長を務める「石田笑店」という公演も開催しています。

心から舞台が好きでなければ毎年公演を開催するなんて出来ませんよね。

もし、石田靖さんがもっと早く東京に進出していたらどうなっていたのか。

今のお笑い界の構図が大きく変わっていた可能性も十分ありえそうですよね。

若い頃の夢のおかげで新喜劇の座長に?

芸人の中には幼少期から芸人を夢見ていた人が多いですよね。

笑いの本場である関西出身であれば尚の事。

生まれも育ちも関西の石田靖さん。

自然とお笑い芸人に憧れたのかと思いきや、若いころの夢は全く別。

実はかつての夢はプロレスラー。

憧れの人物はアントニオ猪木さんだったそうです。

ですが、母親に反対された事でプロレスラーになる夢を断念。

そして大学在学中の1987年に吉本興業に入社。

それから2年後、1989年から吉本新喜劇の舞台に立つようになりました。

ただ、トーク力は抜群の石田靖さんですが持ちギャグは無し。


多くの芸人が「これでもか」と持ちギャグを披露するのが吉本新喜劇の魅力の1つ。

そのため石田靖さんが演じるのは2枚目の役柄ばかり。

何とか状況を打破しようと幾つか持ちギャグを作り、舞台で披露するも全て不評。

その後、持ちギャグの開発や使用を禁止されてしまったそうです。

ギャグの開発を禁止されるなんてよっぽど面白くなかったのでしょうね。

こうしてギャグを禁止されてしまった石田靖さんが活路を見出したのがプロレス。

新喜劇の舞台で先輩、後輩関係無しでプロレスのように激しく突っ込むように。

これが大いにウケて1995年にニューリーダーに抜擢されると1999年には座長に就任。

こうして吉本新喜劇で確固たる地位を確立する事となりました。

石田靖さんが吉本新喜劇の座長になれたのは若い頃、プロレスラーに憧れたおかげ。

そう言っても決して過言ではありませんよね。

石田靖の結婚相手は山田花子?

過去に新聞に掲載された石田靖さんと山田花子さんの腕組みツーショット写真。

石田靖さんはタキシードに身を包み山田花子さんはウェディングドレス。

結婚式の写真と言われて信じてしまう人もいるかもしれません。

ですが、このツーショットは番組内の一コマ。

本当の結婚式の写真ではありませんでした。

ただ、2009年に結婚している石田靖さんですが、お相手について「シャープな山田花子」と語っています。

顔写真は公開されていませんので実際のお顔は不明。

とはいえ山田花子さんの名前をあえて出すという事は本当に似ているのかもしれません。

もしかすると石田靖さんは山田花子さんのような女性がタイプなのでしょうかね。

番組内の一コマとはいえ腕組みツーショットを撮った時も満更ではなかったのかも。

石田靖のおかげで辻本茂雄は名座長になれた?

同じ年に吉本興業に入社した石田靖さんと辻本茂雄さん。

そして偶然にも吉本新喜劇に入団したのも同じ年。


ただ、目立つ役が多かった石田靖さんに対して辻本茂雄さんの出番は「アゴ」をいじられるだけ。

台詞も非常に少ない端役ばかりだったそうです。

同期入社にも関わらず吉本新喜劇入団後に生まれた格差。

この状況を何とかしたいとプロデューサーにアゴネタの封印を直談判。

プロデューサーに「仕事が無くなる」と忠告されるも決意は揺るがず。

すると暫くの間、本当に仕事が無くなってしまったそうです。

仕事が無くなった事に若干の後悔を抱きながらも「主役でツッコミをしたい」という思いが変わる事はありませんでした。

ちょうどその時、間寛平さんが座長を務めていた「広島横断公演」に欠員が。

そこで抜擢されたのが仕事が無かった辻本茂雄さん。

しかも欠員の役が主役のツッコミだった事もあり一生懸命演じたそうです。

すると辻本茂雄さんのツッコミを間寛平さんが高く評価。

周囲にも宣伝してくれたおかげで吉本新喜劇でも主役級に昇格。

そして同期の石田靖さんと共に1995年にニューリーダーとなり1999年には座長に就任。

それから2019年2月に勇退するまで座長を務めあげました。

約20年も座長を務めたのは内場勝則さんと並んで最長記録。

恐らく今後も抜かれる事はない大記録と言えるでしょう。


アゴネタの封印が辻本茂雄さんの転機となったのは間違いありません。

そして封印を決意するきっかけとなったのが石田靖さんを羨ましく思う心。

つまり石田靖さんへの反骨心のおかげで今の辻本茂雄さんがある。

そう言っても過言ではないでしょう。

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