西川 ヘレン(にしかわ へれん)さんは西川きよしさんとのオシドリ夫婦や明るいキャラクターで人気ですが、生い立ちや結婚後の生活には色々とご苦労があったそうです。
今回は西川さんの生い立ちや国籍、英語や病気など昔に関する話題を見ていきましょう。
西川ヘレンのプロフィール
本名:西川 ヘレン(にしかわ へれん)
出生名:杉本 ヘレン(すぎもと へれん)
出身地:京都府京都市
生年月日:1946年10月6日
最終学歴:華頂高等学校(中退)
西川ヘレンの生い立ちや国籍(何人)について
いつも明るい笑顔で知られる西川ヘレンさんも生い立ちには少し暗い部分があったそうです。
西川さんが生を受けたのは1946年10月6日のことで、父親はアイルランド系のアメリカ人、母親は日本人なのでハーフ(ダブル)という国際色豊かなルーツを持っていました。
生まれた年代でピンと来られた方もいらっしゃるでしょうが、父親はいわゆる在日米軍の兵士。
在日米軍(当時は駐留軍)と日本人との子は「GIベビー」と呼ばれ、ほとんどは結婚することなく母親が引き取って私生児として育てたという歴史的な経緯がありました。
西川さんは母親が引き取って育てているので国籍はもちろん日本人ですが、当時は外国人のような見た目が珍しかったのでイジメられたこともあったそうです。
少し補足をすると、西川さんの父親は本国に妻と子が居たので結婚をせずに帰国をしています。
名前の「ヘレン」は母親が尊敬する「ヘレン・ケラー」が由来になったそうですが、もしかすると日本名と見た目のギャップを小さくしようとした親心かもしれません。
多くの「GIベビー」は見た目と母子家庭という経済的な面で苦労をしていたらしく、西川さんも華頂高等学校を中退して運命の「吉本興業」へ入社することになりました。
その吉本興業では不幸だった生い立ちが武器となり、一気に人気芸人へと駆け上がったのです。
西川ヘレンは英語を話せないことで売れっ子芸人に
前項で触れた通り西川ヘレンさんは父親がアイルランド系のアメリカ人ですが、日本人の母親に引き取られて育っているので英語はまったく話せないそうです。
長年、見た目は外人なのに英語を話せないというギャップに苦しんだものの、吉本興業に入ってからは悩んでいたギャップが武器になって売れっ子芸人へと成長しました。
なんば花月劇場チラシ(1965年8月中席予告<1965.08.11~1965.08.20>)
新喜劇はまさに絶頂期を迎えていたルーキー新一が座長、副座長は森信(曾我廼家十吾門下で後に曾我廼家十次郎を襲名)
後の夫婦になるヘレン杉本と西川きよし(潔)が共演してます#吉本 #新喜劇 #なんば花月 #演芸 #ビラ pic.twitter.com/psyyHFKyvv— くま (@Osaraba_tokio) August 8, 2018
芸能界では「欠点こそが最大の武器になる」という格言がありますが、ヘレンさんは”わたし外人やから、日本語分かりまへん”というネタで大変な人気になったそうです。
実はきよしさんと結婚した当時はヘレンさんの方が売れっ子だったこともあり、ファンや吉本興業の関係者からは歓迎されなかったというエピソードもありました。
ヘレンさんにとって吉本興業は抱えていたコンプレックスを帳消しにしてくれただけでなく、きよしさんという素晴らしい男性と巡り合わせてくれた素晴らしい場所と言えるでしょう。
ちなみに、結婚後は吉本興業ではなく夫の個人事務所「西川事務所」に所属しています。
西川ヘレンの病気は卵巣嚢腫と更年期障害
いつも元気な姿が印象的な西川ヘレンさんですが、40歳の頃に子宮と卵巣を摘出していました。
詳しい病名について具体的な記述は見られなかったものの、医療関係の講演会に招かれた際に「卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)」だったことを明かしていたそうです。
卵巣嚢腫の経過自体は良好でしたが、摘出したことで更年期障害が悪化してしまいました。
更年期障害は様々な症状が出る病気で、人によっては生活すること自体が困難になります。
持病に加えて自分の母親と舅・姑(きよしさんの両親)の3人を同時に介護することになり、慣れない生活で心身ともに消耗したヘレンさんは激しい動悸で目を覚ますまで悪化。
「愛する人を介護させてもらう」は名言
西川ヘレン、更年期障害を乗り越え3人の親を多重介護! 視聴者「なんだ神か」 | しらべぇhttps://t.co/7q85jXRVZW @sirabee_news #梅ズバ #西川ヘレン #介護 pic.twitter.com/jsc3OQAHjy— Sirabee/しらべぇ【公式】 (@sirabee_news) October 17, 2018
ついには命の危機まで感じるほどになりましたが、夫や子供たちに症状を告白して家族のサポートを得たこと、自分の趣味を見つけて息抜きをすることで改善に向かったそうです。
想像を絶するような「多重介護生活」は2016年に姑(義母)が亡くなったことで終わりました。
もっとも、上手に介護生活を送れるようになってからは「介護させてもらっている」という心境になり、当事者にしか分からない充実感をもって見送ることができたそうです。
親や家族の介護は決して他人事ではない重大かつ深刻な社会問題ですが、対象者を恨んだり憎んだりするような状況にならない環境作りが社会に求められています。
もしも自分が当事者になった時、ヘレンさん貴重な体験談が一助になるかもしれません。
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