尾崎豊、死因の真相。遺体と遺書、事故死の可能性とは。発見場所は取り壊し

若者の絶大な支持を得て「10代の教祖」と呼ばれるも、26歳の若さで突然死をとげた尾崎豊(おざきゆたか)さん。

その不可解な急逝から30年が過ぎようとしていますが、あらためて公式の死因や死に至った真相に目を向けてみたいと思います。

あわせて遺体の状態、遺書公開の波紋、事故死の可能性についてもみていきます。

発見時に倒れていた場所、「尾崎ハウス」は2022年現在どうなっているのでしょうか。

尾崎豊のプロフィール

愛称:オザキ

本名:尾崎豊(おざきゆたか)

生年月日:1965年(昭和40年)11月29日

死亡年月日:1992年(平成4年)4月25日

身長:178cm

出身地:東京都練馬区

最終学歴:青山学院高等部中退

所属事務所:アイソトープ

いまだ謎が残る尾崎豊の死因。真相は?

26歳のカリスマシンガーソングライターが東京都内の民家の軒先で全裸のまま倒れているところを発見されたのは、1992年4月25日早朝のことでした。

病院に搬送されたのち、家族に付き添われて自宅マンションに帰宅した尾崎豊さんは、暴れたり、嘔吐したりを繰り返すうちに寝息をたてはじめます。

ところが、ほどなくして寝息が聞こえなくなり、危篤状態に。

ふたたび運び込まれた病院での蘇生措置もむなしく、同日の午後に息をひきとりました。


全身にすり傷などの外傷があったことから、けんかに巻き込まれた可能性もあるとして司法解剖が行われ、死因は肺水腫と発表。

肺水腫とは、酸素の欠乏や刺激性ガスの吸引などが原因で肺に水がたまる症状で、年齢に関係なく起こり、突発性が高いといわれています。

ところが2年後の1994年、「死体検案書」の内容がメディアに流出し、司法解剖時に覚醒剤が検出されていたことが明らかに。

これにより、さまざまな憶測が乱れ飛ぶことになりました。

覚醒剤での逮捕歴から推測される薬物中毒死説や、身体中の外傷から推測される他殺説などです。

同年、尾崎さんの父親が10万人近い署名を集めて再捜査の要請をするも、警察は事件性なしとして受理せず。

さらに1999年、写真週刊誌が病院で蘇生措置を受けている尾崎さんの衝撃的な写真を掲載。

そこに写っていた尾崎さんの右目は、まるで誰かに殴られた痕のように腫れ上がっていました。

そして突然死から15年後、暴力団関係者と名乗る人物が尾崎さん殺害を匿名で告白。

証言によると、あの日、以前から顔見知りだった尾崎さんを呼び出して薬物入りの酒で錯乱状態に陥らせ、人目につかない場所に連れていき、数人で殴る蹴るなどの暴行を加えたとのこと。

殺害の理由については事情があって明かせないとしています。

警察が「事件性なし」として調査を終結したにもかかわらず、なぜ15年を経て告白に至ったのかが不可解ですが、その理由として良心の呵責と、がんによる余命宣告を受けたことを挙げています。

この告白の信憑性を高いととるか、低いととるかは人それぞれでしょう。

仮に尾崎豊さんの死が他殺であり、死に至らしめた実行犯がこの男とその仲間だったとしても、誰がどんな理由で尾崎さんの死を望んだのかは依然として不透明。

真相がいまだ闇の中であることに変わりはありません。

遺体の検視・解剖で判明したこと

死亡日の翌日となる4月26日未明、尾崎豊さんの遺体は死因解明のため千住署から東京医科歯科大に移送されました。

内臓には覚醒剤を経口摂取した痕跡があり、肺にも覚醒剤中毒の形跡がみられたそうです。

尾崎さんは覚醒剤の多量摂取による急性メタンフェタミン中毒を起こし、これが肺水腫を誘引したと結論づけられています。

司法解剖を終えた遺体は霊安室の出入り口から、千住の自宅にほど近い妻・繁美さんの実家マンションへ。

無言の帰宅を出迎えたのは繁美さん、一人息子の裕哉くん、尾崎さんの父・健一さんらでした。

マンションの敷地内にはファンが殺到し、警察によるロープ規制も。

ファンはいつまでも立ち去らず、事務所関係者が「尾崎は人に迷惑をかけることが嫌いだった」「やっと眠れたのだから、帰ってください」と土下座して説得する一幕もありました。

尾崎豊の遺書の真贋は?

尾崎豊さんの遺書とされる文書の存在は、1994年の時点で報じられていました。

あるジャーナリストによって全文公開されたのは、2011年の『文藝春秋』12月号です。

長男が物心つくまで公表は控えるという繁美夫人との約束のもと、長く封印されていたのだそう。

尾崎さんのセカンドバッグから見つかったというその遺書は、「さようなら 私は夢見ます」と結ばれており、また自宅で発見されたという別の1通は、妻と子に幸せになってほしいという思いがつづられていました。

公開したジャーナリストは他殺説を否定し、自殺だったと結論づけています。

ところが、尾崎さんの父と兄は遺書の真贋に疑念を抱き、父親は自殺説を否定。


そのためか、遺書の内容にはいまだ納得できないファンも多く、真贋を問う声も多く聞かれます。

あげくには遺書捏造疑惑まで浮上することになりました。

自殺や他殺ではなく、事故死の可能性も

とかく自殺か、他殺かが争点になりがちな尾崎豊さんの不審死。

ですが、そのどちらでもなく事故死だった可能性も捨てきれないでしょう。

亡くなる前々日には八角親方(当時は横綱・北勝海)と知り合い、チケットを送るのでライブに来てくださいと話しています。

また検死を担当した支倉逸人氏によると、全身のすり傷と打撲傷は暴行によるものとは異なっていたとのこと。

発見時には暴れて転倒したり、ブロック塀に頭を打ちつけていたという目撃証言もあり、これらは覚醒剤中毒者によくみられる異常行動とのことです。

支倉氏はまた、覚醒剤の致死量には大きな個人差があるため、殺害の手段とするには確実性に欠けるとも指摘しています。

尾崎豊が倒れていた場所、「尾崎ハウス」取り壊し

尾崎豊さんが倒れていた都内足立区千住河原町の民家は、その後、連日訪れるファンがいたことをきっかけに、居住者の小峰忠雄&豊子夫妻が一室を開放。

「尾崎ハウス」としてファンの聖地になりました。

しかし20回忌となる2011年、夫妻は大阪の長男一家と暮らすため、築60年を超える自宅の建て替えを決意。

「尾崎ハウス」は解体されることになりました。

解体工事の初日には、思い出の「尾崎ハウス」に別れを告げる多くのファンの姿が。

誰もが心の中で小峰夫妻に感謝していたことでしょう。

謎を秘めた死のせいか、生前に増してカリスマ性が際立った感のある尾崎豊さん。

あの日いったい何が起きたのか、真相はご本人しかわからない謎であり続けるのかもしれません。


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