尾崎豊の兄は裁判官、父は自衛官、母は外交員。実家の今&マネージャーは文筆家

『15の夜』『卒業』など、社会への反抗心を歌ったことで、若者から絶大な支持を集めた歌手の尾崎豊(おざき ゆたか)さん。

社会に対する疑問を率直にぶつけた不良青年のイメージが強いですよね。

しかし実はエリート家庭で育っていました。

豊さんの兄は裁判官、父は自衛官、母は保険の外交員という情報を確認します。

併せて、実家の現在の様子と元マネージャーが文筆家に転身したという情報に迫ります。

尾崎豊のプロフィール

本名:尾崎豊

生年月日:1965年11月29日

死没:1992年4月25日

身長:178cm

出身地:東京都世田谷区、練馬区

最終学歴:青山学院高等部退学

尾崎豊の兄・尾崎康は裁判官・弁護士

まず豊さんの兄・尾崎康さんについて確認します。

康さんは1960年生まれの裁判官です。

東京都立富士高校、早稲田大学法学部を卒業後、裁判所の書記官となりました。

1987年、弟の豊さんが覚醒剤取締法に違反した容疑で逮捕されます。

晩年の豊さんは精神的に追い詰められており、自殺を図ったこともありました。


後述しますが、母が急死したことでさらに精神状態は悪化していきます。

残された家族で必死にサポートを続けたものの、再起することはありませんでした。

1992年4月25日早朝、東京都足立区にある民家の庭で泥酔して倒れている豊さんが発見されます。

病院に搬送され、一度は妻、兄の康さんとともに帰宅。

しかし自宅で突然危篤に陥り、再び病院に搬送されるも、午後0時6分に26歳で亡くなりました。

1994年に康さんは、弟の死についてつづった『弟 尾崎豊の愛と死と』を出版しました。

謎が多い豊さんの死。

本書は真相を断定的に書いた本ではありません。

むしろ真相をぼかして書いた印象があります。

本書によると康さんは、弟が騙されてやむを得ず覚醒剤に手を出したと考えてきたようです。

「弟は闇の深い芸能界に利用された犠牲者」だと確信しているのでしょう。

書籍の出版と同年に康さんは旧司法試験に合格し、弁護士登録を果たしました。

法律事務所で勤務したのち、2004年に裁判官となります。

横浜地方裁判所や名古屋地方裁判所を経て、2012年に尾崎法律事務所を設立しました。

波乱に満ちた弟の人生を見守りながらも、法律のプロとしての道を突き進んでいたことがわかりますね。

尾崎豊の父・尾崎健一は自衛官

豊さんの父は、1926年生まれの元陸上自衛隊防衛事務官・尾崎健一さんです。

社会保険労務士や都山流尺八師範、文筆家などの顔も持つ多才な人でした。

愛知県半田市に生まれ、明治大学の法学部を卒業。

防衛省に入り、陸上自衛隊事務官として勤務します。

趣味で尺八と短歌を習っていた風流な人でもありました。

尺八は師範になるほどの腕前だったことから、音楽の才能に秀でた家系だったとわかりますね。

退職後は社会保険労務士として活動しつつ、豊さんの死後は息子に関する著作を多く執筆しています。

『尾崎豊 : 少年時代』『尾崎豊「誕生」 : 想い出の幼少年時代』『天国の豊よ、思い出ありがとう』などが代表作です。

最愛の息子の死と折り合いをつけるのは難しかったはず。

本に思いのたけをつづりながら、気持ちを整理していたのではないでしょうか。

晩年は介護施設で暮らし、2018年11月28日に91歳で亡くなりました。

天国で豊さんと再会し、幸せに過ごしていると良いですね。

尾崎豊の母・尾崎絹枝は保険の外交員

豊さんの母・尾崎絹枝さんは、夫の健一さんより5歳年下でした。

岐阜県高山市出身で、非常に真面目な性格の勉強家だったそうです。

大検の勉強に励み、保険の外交員として勤務。

息子の豊さんがブレイクした後は、彼の事務所の仕事を手伝って、歌手活動をサポートしていました。

しかし1991年12月29日、埼玉県朝霞市の朝霞駅のホームに続く階段で、突然倒れてしまいます。

救急車で搬送されたものの、そのまま61歳で亡くなってしまいました。

この日は康さんの子供、つまり孫たちにクリスマスプレゼントを買うため、康さんの奥さんと孫たちに会う予定でした。

しかし心臓の血が固まった結果、血流が止まり、急死してしまったそうです。

高血圧だったため血管が詰まりやすく、ご本人も急な心停止をするリスクは以前から感じていたようでした。

若い頃から頭痛で入院することも多く、自宅には心臓の薬「救心」が置かれていました。

豊さんは母との突然の別れに心が乱れ、精神状態が不安定になっていきます。

そして残念ながら、彼自身も翌年に亡くなってしまうのです。

尾崎豊の実家は取り壊しが決定

2022年は、豊さんの死からちょうど30年を迎えます。

ファンの聖地として有名だったのが、埼玉県朝霞市にある実家です。

父・健一さんは生前、訪れたファンを快く家に入れて、話をしてくれていました。

ファンが来てくれるのが嬉しかったようで、秘蔵写真やグッズなどを見せて、仏壇に線香をあげることも許可していました。

しかし健一さんが介護施設に入り、その後亡くなると、実家は空き家になってしまいます。

兄の康さんによると、いずれ実家は処分する予定とのことでした。

「尾崎豊記念館」を作るべきという意見もありますが、近所迷惑になるため、その予定はないそうです。

豊さんの息吹を感じられる聖地がなくなってしまうのは残念ですが、近隣事情や遺族の気持ちを重視するしかありません。

尾崎豊ファンの方々には、実家が現存しているうちに足を運んでみることをおすすめします。

尾崎豊のマネージャーは鬼頭明嗣で文筆家


豊さんのマネージャーとして知られていたのが、鬼頭明嗣さんです。

1954年生まれで、2022年現在は出身地の愛知県名古屋市に暮らしています。

若い頃は日本大学藝術学部を卒業後、世界放浪の旅に出発。

帰国後はフリーの編集者として活動する中、豊さんと知り合い、ともに音楽事務所「アイソトープ」を設立します。

その後は豊さんのマネージャーとして、彼の死まで活動をサポートし続けました。

ちなみに鬼頭さんのネット上での評判は「嘘つき」や「嘘くさい」など。

豊さんの死後、彼にまつわる著作を出したものの、自分に都合が良いように書かれているため不評だったようです。

ただ2003年に発表した『愛すること、それがすべて~尾崎豊との永遠の絆~』は、通販サイト「アマゾン」での評判が比較的良好です。

長年ビジネスパートナーとして寄り添った鬼頭さんだからこそ描ける、魅力的かつリアルな豊さん像に触れられます。

現在の鬼頭さんは地元のみそカツ店「矢場とん」で広報部長を務めているそうです。

2018年4月14日に放送されたBS-TBSのドキュメンタリー番組「鬼頭さん-25歳の、それを」に出演したため、近況が判明しました。

豊さんと過ごした1年ほどの濃密な日々の思い出を胸に、前を向き続けているに違いありませんね。


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