大林宣彦監督、 娘・千茱萸(ちぐみ)へ送った言葉。ガンと闘い遺作を撮影

尾道三部作や『青春デンデケデケデケ』などでおなじみの映画監督・大林宣彦(おおばやし のぶひこ)さん。

肺がんによる余命宣告を受けながらの制作活動、そして病状の劇的な好転が話題を呼びました。

2020年4月に逝去された大林監督の病気と晩年の様子、さらに娘の千茱萸(ちぐみ)さんについてお伝えします。

大林宣彦監督が死去

抗がん剤がめざましい効果を上げ、「余命は未定」となったはずの大林宣彦監督。

2018年10月にがんの転移が見つかりました。


1月9日に81歳の誕生日を迎えた大林監督。

当時、移動のさいには車椅子に頼ることもあり、以前のように身体が自由に動くわけではなったそうです。

それでも昨夏は酷暑の中、故郷の尾道で新作映画の撮影に挑み、秋には『花筐/HANAGATAMI』の上映会で北海道まで足を運びました。

死去される1年前まで、精力的な活動をされていました。

2019年1月には、公開予定の最新作の編集作業に追われる毎日を送っていました。

まさに命をかけた映画制作。

どんな状況にあってもひたすら前を向く大林監督らしい言葉です。

大林宣彦監督の病気・ガン。病状はどうだったのか

大林監督は2016年の夏、『花筐/HANAGATAMI』のクランクイン直前にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けました。

自覚症状は一切なかったそうです。

スタッフや出演者に病気を伝え、撮影をスタート。

実はこの映画は約40年前、大林監督が劇場用の映画第1作目として企画していたもの。

実現がかなわないまま長い年月が流れた、思い入れのある作品でした。

クランクインと同時にがん治療も開始。

監督自身が「非常に効果があった」と話す抗がん剤は、イギリスのアストラゼネカ社が開発した「イレッサ」といわれています。

ステージ4の状態から一時はがんがほぼ消滅したというのですから、まさに驚異的な好転でした。

大林宣彦監督の娘はどんな人?

大林宣彦監督の娘はバラエティ番組に出演することもある大林千茱萸(ちぐみ)さん。

1964年生まれ、今年で55歳です。

3歳から映画館に通い、年間200本の映画を鑑賞していたそうです。

12歳の時に父親の映画デビュー作品『HOUSE/ハウス』の原案を担当。

『HOUSE/ハウス』の原作者は小学生だったのですね。

現在は執筆業、映画監督、料理家、テーブルマナー講師、ホットサンド倶楽部部長と多彩な活動をしています。

ホットサンド倶楽部とは、ホットサンド好きの千茱萸さんが立ち上げた世界規模のホットサンド同好会。


映画作りに没頭するエネルギッシュな大人たちに囲まれて育った千茱萸さん。

大林宣彦監督はどんな父親だったのでしょう。

「父は『自由には責任が伴う』という考え方。

子供のときはきつかったけど、徹底して自分で考え行動する習慣が付き、今の自分の原点になった」。

中学入学まではあまり学校に行かず、映画漬けの日々。

映画が自分にとっての教科書だった。

いつもは声を荒らげることなく、忍耐強い父。

自らの生き方をさらけ出し、いつも真剣に向き合ってくれた。

それが自分への最大の愛情表現だと、感謝の念を持ち続けている。

大林宣彦監督の最新作!

遺作となった『海辺の映画館—キネマの玉手箱—』。

脚本は大林監督自らが手がけたオリジナルで、尾道がメインのロケ地になるのは20年ぶりだったそうです。

ストーリーは、映画館にいた若者たちが戦時中にタイムスリップし、原爆投下直前の広島にやってくるというもの。

「その時」に向かって時が進む中でのドラマが描かれます。

終戦時7歳だった監督は、自分のことを「平和孤児」と呼んだことがあります。

広島の原爆を描くことに使命を感じていたのでしょう。


日仏交流160周年のイベントで大林監督の作品がフランスで上映されました。

久しぶりにパリの街を妻と二人で歩きたいね、と語っていた大林宣彦監督。

監督の映画へのとどまらない情熱は未来にも語り継がれることでしょう、

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